紀伊国屋文左衛門の特別展を鑑賞しました。展示物を観ながら、ご一緒した方と和歌山県の誇りについて話し合いました。紀伊国屋文左衛門は紀州の伝説の偉人ですが、その生涯は謎に包まれているようです。そこで気付いたことがあります。展示物の中に弁財船の模型があり、解説によると「江戸時代前期は、船で紀州から江戸まで30日を要したのですが、江戸時代後期になると船で紀州から3日で江戸まで行けるようになった」ということです。
江戸時代、弁財船の速度を速めるような技術革新があったのです。紀州から3日で江戸に行くことが可能になっていたことから、紀伊国屋文左衛門は江戸に蜜柑を運ぶことができたのです。
嵐の中を船で出航する賭けの背景には船の技術革新があったのです。
そして紀州の謎の豪商は文化人でもあったようです。掛け軸になっている書き物が展示されていたことから、優れた商人であり文化人であったことが、元禄の江戸文化に受け入れられたのだと思います。このことは昔も今も同じだと思いました。ビジネスの才能だけではなく、文化的素養を持っていることが尊敬される人物だということです。
また当時の有田と江戸の港を再現した模型がありましたが、当時の流通手段は海路であり、港のある場所が栄えていたことが分かります。紀州は江戸と海路で直結していたので、農産物を江戸に出すことができていたのです。特産品があり港が整備されている場所が栄えたのは当然のことで、当時と違い今は陸路であり空路ですから、和歌山県は大商圏と直結できていないことから、後れを取ってきたと思います。
これからは高速道路で結ばれ始めていることや関西空港に近く、南紀白浜空港も充実していくことから、大商圏とつなげられています。これからが和歌山県にとって勝機到来ですから、県政の役割は重大だと受け止めています。
また和歌山県の歴史についても話が及びました。熊野古道は自然信仰、そして行幸の道であり、祈りの道であることに価値があります。当時、歴代天皇が熊野を訪れたのは熊野信仰と共に、祖先である神武天皇の辿った道を直接、感じたかったことも考えられることだという話です。
難波から紀州に入り、竈山、名草から南に向かいます。熊野で八咫烏に導かれて大和の国に入るのですが、その訪ねた道が熊野古道であったと考えるとロマンを感じますし、和歌山県と皇族との強いつながりと故郷の懐の深さが感じられます。
信仰の道、霊場の道、天皇の道の意味を持つ熊野古道であるなら、わが国の歴史の道であり世界に類を見ない価値ある道だと思います。自然信仰、現世での難行苦行の先に掴む価値、そして先祖を大切に敬う気持ちが込められた道が熊野古道であるなら、現在持っている我が国が世界に誇るべき価値は更に高まるような気がします。
大和の地が日本の中心であるなら、大和の国を護るような形にある紀伊半島は、わが国を災害や襲撃から護っている重要な地だと言えます。繰り返しますが、大切な地を護るための紀伊半島が存在しているように思いますし、そう思うと和歌山県の役割は極めて重大です。
神武天皇が平和を実現し豊かな国を築くために国を統一しようとして歩いた道が紀伊半島、つまり和歌山県なのです。令和の時代にあっても重大な役割は変わっていないと思いますし、これからも不変だと思います。
紀州の偉人、置かれた環境と役割を思うと和歌山県のことを誇りに思いますし、日本の中心を覆うように存在している重大な地であることが分かります。
ゴスペル亭パウロさんによる防災落語で学び、そして楽しみました。防災の日の今日、久しぶりにパウロさんの防災落語のお誘いをいただきました。今回の防災落語は、地震発生してから避難する時にやるべきこと、避難所生活でやるべきことを落語に乗せて語ってくれました。かなり細かく、そして関心を高めるような口調で語ってくれたので大きな学びになりました。防災対策の説明を聞くことは大事ですが、落語で防災の知識を語ってもらうことで、楽しく学ぶことになりますし、記憶にも定着するものです。
防災の日に楽しく防災を学ぶ。そんな時間を持てたことに感謝しています。
春に叙勲を受けた前田洋三さんのお祝いの会に出席しました。これまでの功績が評価されて叙勲されたことを皆さんと共にお祝いさせていただきました。飲食業、食品衛生に携わったことからの栄誉だと思いますから、これからも飲食業界発展に努めてくれることと思います。
お祝いの会では飲食関係の皆さんと会うことができ、懐かしい役員の皆さんとの会話も楽しみました。
Mさんは「片桐さんとの出会いは忘れていません。ずっと応援していますし、これまでしてくれたことに感謝しています」と話してくれました。
Tさんは「飲食の研修会で東京大会に参加した時のことを今も覚えています。片桐さんは私達と行動を共にしてくれました。そして屋形船にも一緒に乗ってくれて、船上で天ぷらも一緒に食べてくれました。そんなおつきあいをしてくれる議員さんはいませんから、今もその恩を忘れていません」と話してくれました。
そしてDさんは「こんな私達とつきあいをしてくれていることを、いつも感謝しています。どれだけ支援してくれているかも知っていますし、動いてくれていることも知っています。私達か応援しなければならないのです」と伝えてくれました。
皆さんの言葉に感激していますし、つないでいるご縁が生きていることを嬉しく思います。前田さんの栄誉を称えると共に、今日お祝いの席で出会った皆さんに感謝しています。