北海道への視察研修に参加しました。初日の今日は稚内市の北方記念館開基百年記念塔に行きました。ここは晴れた日には、北側に樺太が見える位置にあり、記念館内では「氷雪の門」の映画の解説や当時の電話交換機も展示されていました。
映画「氷雪の門」と、真岡郵便電信局の女性電話交換手9人の最期を描いた女性の話はあまりにも有名ですが、この地に来て解説を見ると、改めてソ連の第二次世界大戦後の樺太侵略が正しかった否かについて考えさせられます。
映画「氷雪の門」で描かれているのは次のようなものです。
「1945年(昭和20年)夏、樺太の西海岸に位置する真岡町では、日ソ中立条約を一方的に破棄して参戦したソ連軍の侵攻に脅かされようとしていました。緊急疎開が開始され、婦女子、老人、病人を中心とする避難民は群をなして真岡町の港に向いました。8月15日には玉音放送によって終戦が告げられ、疎開船も順次出港したが、疎開民が乗った非武装船三隻が留萌沖で国籍不明の潜水艦によって攻撃され、疎開民のほとんどが犠牲になるという事件も起こりました。
8月20日、ソ連軍は真岡町への上陸を開始し、志願して職場に留まり、そのために追い詰められた関根律子ら女性交換手達は、各地で市民が次々と殺害される状況を通信で知り、自らも青酸カリによる自決を選んだのです」。
昭和20年8月15日の終戦が告げられた日以降に、当時のソ連軍が8月20日、樺太に侵攻してきた事実から、この地を護ろうと最後まで電話局に留まった若い女性たちを思うと涙が出てきます。僕は一度だけ映画「氷雪の門」を観たことがありますから、第二次世界大戦で日本が降伏した後の侵攻は、国際的に批判されるべき行為だと思っています。
また小学生の時の社会の教科書の日本地図には、樺太が北緯50度のところに直線が引かれていたことを覚えています。父親に尋ねた記憶もあり、その時の話では「南樺太は日本の領土だから北と南の間に国境を設けている」だったように思います。国境はそれまでの長い歴史から日本とソ連が決めたものだと思いますから、樺太へのソ連軍の侵略は疑問だと思います。
このことに関しては、当時のソ連にも立場がありますから一方的に言うつもりはありませんが、「氷雪の門」という映画が、一流のキャストで撮影されている事実や、上映禁止になっている事実から決してフィクションではなく、わが国の考え方を、映画を通じて主張をしているものと思います。事実に基づかないシナリオがこのような一流の出演者に受け入れられるとは思いませんし、ノンフィクションの映画であれば、わが国は表現の自由がありますから誰も異議を唱えなかったと思います。または異議があったとしても上映していたと思います。何かの圧力があり世に知られないように仕向けられたものだと感じます。
稚内市に記念館があり、樺太の歴史や映画「氷雪の門」の解説があることは、この扱いにくい問題を世に問いかけたいからだと思います。
僕は和歌山市内で映画「氷雪の門」を鑑賞できたから関心を持っていたのですが、この映画を観ていない方や歴史を知らない方であれば、この展示物を素通りしてしまうような感じがします。第二次世界大戦前の樺太には日本人が暮らしていましたし、南樺太は地勢的にも日本の領土だと思います。第二次世界大戦前後の日本の領土問題を考えて、学ぶ機会となりました。
ここは初めて訪れましたが、是非、多くの方に鑑賞してもらいたいと思います。歴史を学ぶことは、わが国の主張を学ぶことでもあり、将来のあり方を考える契機になります。歴史を知らない、関心がない、わが国の立場を主張もしない、わが国の将来にも関心がないでは、わが国の立場は国際社会からますます弱くなっていく懸念があります。
領土問題は歴史を知ることから始まる問題ですから、更に学ぶ機会を持ちたいと考えました。
視察終了後、みんなでこれらの問題について話し合いました。初日は視察と明日への備えで時間が経過していきました。