活動報告・レポート
2019年8月11日(日)
人望
人望

昨今、亡くなった方の話になり「あの人は人望があったから、今も多くの人に愛されたんだと思います。単に仕事ができるだけでは人望は得られません。人から人望をいただくためには人格と優しさ、人のために尽くすことが必要です」と話がありました。

古今東西を問わず、これと同じことが言えると思います。仕事ができること、会社を発展させることは勿論、大事なことですが、それだけでは人から愛されることはありません。人のために尽くすこと、優しさを持って接することが人望という見えない価値を作ってくれるのです。

人望の有無は普段は分かりませんが、有事の時に知ることができます。有事の時、その人の依頼によってどれだけの人が動いてくれるか、また心配して解決策を講じてくれるかなど、人の行動によって計ることができるのです。自分のことのように、自分の兄弟のように思って動いてくれるなら人望があると言えますし、動いてくれなかった場合は人望が欠如していると言わざるを得なくなります。

亡くなった後もその生前の人望から愛されている人は素晴らしいと思います。相当凄い記憶が残らない限り、いつか忘れ去られる時が訪れると思いますが、それはそれで良いと思います。

もしかしたら人に残る記憶とは香水のようなもので、直ぐに消えてなくなりますが、どこかで同じような香り(出来事ややってもらったことを思い出す時など)に遭遇した時、記憶が蘇りますから、それが良いのです。その人達がいなくなった後も、その時代と暮らした場所、活動した場所に見えない記憶はずっと残ります。誰も覚えている人がいなくなった後でも、その場所に存在していると思うのです。消えてなくなっても残るもの。それが生きた証なのです。

関係した人や出会った人の記憶に残っていれば、それは幸せなことです。

ところで「男性も愛嬌、笑顔が大事な時代になっています」という話もありました。男性の愛嬌、つまり笑顔が素敵なことが評価される基準になっているようです。松下幸之助翁の話から引用すると、人を選ぶ基準は「運と愛嬌」ということになります。

持っている運を見抜くことは難しいことですが、愛嬌は素敵な笑顔などで計ることができますから、人と接する時の参考になります。

人望は得ようと思って得られるものではありません。性格に基づく普段の何気ない行動が人望になっていくのです。

このことに関してひとつ良い話を聞かせてもらいました。

「私は人と接する時に、自分は小さな子どもの手をつないで二人でいるような気持で接しています。そうすると腹が立つことがあっても、自分の言動を子どもが見ていると思うので、怒ることや喧嘩になることはありません。傍にいる子どもの模範になるような大人の行動をしようと心掛けられることになるのです。

もし相手に殴り掛かった場合、子どもはこの行為を見て泣き出すかも知れません。もし相手にきつい言葉を発すれば、子どもの心にずっと残るかも知れません。子どもから尊敬できない大人だと思われないようにするためには、品格ある態度で対応する、きれいな言葉を使って自分の意見を伝えるなどの言動をすると思います」というものです。

子どもの手をつないで人と会っていると思うことで、自分を律することができると思うので、これも参考になる考え方です。

皆さんと会うこと、話をすることは学びになります。

初盆

平成30年11月に亡くなった母の初盆を迎えました。毘沙門寺からお坊さんをお迎えして法要を執り行いました。もう8か月が経過したことに驚きますし、今もここにいるような感じがあります。訪問いただいた皆さんと、しばし母の話を交わしたことが供養になったと思います。

夏祭り

夏祭り 鳴神南自治会の夏祭りに参加しました。昨年までは二日間開催いたしましたが、今年からは一日開催と変更になっています。今年の夏もみなさんの協力があり、昨年までと変わらない熱い夏になっていました。