明日、講演会の講師を務めるTさんの事務所を訪ねたところ、「お盆の意味」について話す予定だと聞かせてくれました。そこで原稿の一部をいただき話し合いました。
元々、日本には「盂蘭盆経」がわが国に入ってくる前から、7月にご先祖様が帰ってくるという思想があったそうです。全国各地で鎮魂のために「みたま祭」や「精霊祭」が開催されているのはそのためです。この習慣と「盂蘭盆経」の教えとが融合した結果、お盆にはご先祖様をお迎えするためのお墓参りやお供え物、迎え火、送り火などの供養や、おもてなしが行われるようなり、日本人の精神形成に大きな影響を与えてきたそうです。
その日は7月15日を中心とした行事でしたが、明治時代からは旧暦の7月に当たる8月13日から8月15日まで行われるようになりました。現代のお盆は長期の休みという程度の行事となり、お盆に由来する盆踊りや打ち上げ花火などは、それらが持っている意味は忘れられ、夏祭りへと変化してしまっているのが現状です。
世界でも類を見ないほど、ご先祖様や見えないものに心遣いをしてきた日本人ですが、この文化は人類の宝物だと考えるべきものです。この心を絶やさないことは勿論のこと、日本人の心配りを世界に発信することで世界の平和につながるものだということです。確かに日本人は優れた精神性を持ち、自然を尊敬し畏怖する心を持っています。そして何よりも見えないものに導かれることを敬う心も持ち合わせています。見えないものによって動かされていることを信じ、その導きに感謝する心を持っているのが日本人です。物欲や金銭欲と同様に見えないものを大切に思う欲、心を持っています。
しかしこの精神は、元になるものを伝えていかなければ、教えなければ、やがて絶えてしまうものです。物質文明、快適性や利便性などからこれから迎えようとしているAI社会の流れに沿うことは大事ですが、世界に類を見ない優れた精神性を私達は失ってはいけません。優れた精神性を持っているから、AIや科学を使うことができるのです。優れた精神性を持たずして、人が開発した能力の高いものを扱うことは危険だと思います。
何故なら、神は心の中や見えないものに宿っているものだと考えるから行き過ぎた進歩に歯止めを掛けられますが、「そんなものはない」と思っている人が携われば見えるものが全てなので、全てを人工知能や機器に託そうとします。見えないものを数値化させてAIに教えることや、見えないもの畏怖する心をAIが出した結果に畏怖するようなことにしてしまえば、人はAIに使われる存在になり下がりそうな感じもします。
日本人こそAIなどの先進技術の開発に携わり、世界をリードすべきだと思うのです。見えないものの力を信じ、優れた精神性を有している日本人は、AIが万能ではないと思って取り扱うから、どれだけ進歩した技術であっても神の存在、人の領域を超えられないと考えるからです。
見えない神の領域に到達させようと考えるような合理主義的な国が、AIなどの開発をリードすることは避けて欲しいと思います。
また和歌山県出身の偉人、松下幸之助さんの話も聞かせてもらいました。以前、松下翁をテーマに講演した経験を持つTさんは、「松下さんの話を聞いたり、松下さんに関係する本を読むことも大事ですが、現場を訪れることはもっと大事だと思います。現場に行くことは本を読むよりも本質が分かりますから、現場を訪問して何かを感じるまでその場にいる、または何度も訪れること。本質を理解して人に話すためには、それが大事なことです。松下さんは和歌山市出身なので、旧和佐村にあるお墓や縁の家などを訪れたことで、現場で感じたことがありました。現場で感じたことを交えて講演したことが好評だったと思っています」と話してくれました。
現場を訪れて何かを感じることが大事なこと。そんな話を伝えてくれました。