大きな問題であればあるほど、それを解決するまでには、たくさんの人の経験や行動する勇気が含まれています。それは大きな案件、重大な案件であればあるほど、関わる人が多くなり、事前の根回しも必要となっているからです。関わる人が多ければ多いほど、その方達は時間も信用も費やしてくれた訳ですから、案件を進める途中で問題が発生した場合の解決は難しくなります。
関わる人が少なければ、誰が何を担当し、どんな行動をしていたのかが見えますから、人を責めるのではなく、どこに、どの人に問題があったのか分かりやすいのです。しかし関わる人が多ければ、誰が何を担当しているのか、どんな行動をしていたのか見えなくなります。直接、関わりあう人であれば、何を行っていたのかも、どんな考え方に基づいてその行動をしたのかも分かりますが、その先の人は見えませんから、紹介者の信用に基づいて自分の役割を果たそうとします。
しかし多くの問題は、先が見えないことから発生するように思います。直接、関わっている人の信用に基づいて自分がすべき役割を果たそうと行動しますが、その先の人が信用に足りない人であった場合、実際に行動した人が窮地に追い込まれることは珍しくありません。
既に、案件に必要となる人をつないでその人が行動していること。そしてその先の人が信用に基づいて協力してくれることになったとします。その結果から案件を進める準備を整えているのにも関わらず、案件の依頼をしてきた人が、実際に計画の権限者に説明ができていなかった場合や、間に入った仲介料を稼ごうなど姑息なことを考えていると、案件は進展しないどころか、真剣に動いて準備を整えた人達は大変困った事態に置かれることになります。
きちんとやっていればやっているほど、人に迷惑を掛けることになるのです。そんな時、決まっていい加減な仕事をしていた人達は、責任回避という常とう手段を取り逃げますから、信用に基づいて役割を果たしてきた人達の関係も微妙なことになります。
結局、責任を取る覚悟のない人が関わってしまった案件は、成就することなく消え去るのですが、後には不信感が残ることになります。いい加減な人は元々信用されていない人なので、信用されなくても何ら問題はありませんが、信用に基づいて役割を果たしていた人は大変なことになります。信用という長年かけて得て来た財産が削られることになるのですから。いい加減な人は逃げてしまっているので現れることはなく、実際に依頼に基づいて動いた人だけが後始末に走り回ることになります。つまり頭を下げて謝罪することです。
これら問題の後始末の過程で、役割を果たした人達は精神を痛めることになりますが、逃げしてしまっている人達は何も心を痛めていないのです。
そのことで素敵な考え方を聞かせてもらいました。
飲食店で食事をした後に代金を支払わない人を捕まえて、「何故、支払わないのか」と問い詰めても、決してまともな返事は来ません。無銭飲食をした人は言い訳をするか、辻褄の合わない答えを返すだけです。いい加減な答えを聞いたら、余計に腹を立てることになります。
ですからそんな人を相手にしない方が精神は痛まずに済みます。
つまり責任回避をして逃げている人を引っ張り出して言い訳を聞くよりも、信用した自分に落ち度があると考えて、自分が動いて協力してくれた人に謝ることが正解です。人のことであっても自分が関わってしまったことに対して頭を下げられることが正々堂々した姿勢で、人物だということです。この場合、頭を下げることは負けではなく、むしろ勝ちだということです。言い訳をするよりも、頭を下げることで信用を得られるからです。
何故なら、言い訳とは、先の事例で示したように無銭飲食をした人と同じ行為を自分がしているからです。言い訳をする人物は信用されることはありませんから、むしろ謝ることが信用を高めることになります。自分の甘さを認め謝ることができる人は、再び役割を与えられることになります。
言い訳する人はそこに留まることはできないので、その場を去っていく以外にないのです。
このアドバイスは素敵な考え方だと思います。
最後にもう一つ教訓です。「こうだろう」で物事を進めてはいけません。直接、確認してから「だろう」ではなく「こうだから」の確認を得てから物事を進めるべきです。これも肝に銘じておきたいことです。
- 秋に予定している研修会の打ち合わせを行いました。夏の盛りですが、もう秋の予定を確認し準備を進めています。
- 日韓両国で起きている問題について解説を聞かせてもらいました。とても分かりやすく、関心の持てるような説明をしてくれました。
- 敬老の日に関わる資料作成などの準備を行いました。事業計画は数か月先を見て、準備を進めています。