活動報告・レポート
2019年8月3日(土)
同級生の集まり

小学校の時の同級生の集まりに参加しました。暑気払いの小さな集まりでしたが、たっぷりと夏の時間を楽しみました。会場は同級生の居酒屋、続いて同級生のお好み屋に行って話を交わしました。

みんなが同じように感じたことは、「小学校を卒業してから40年、これまでみんな頑張って来たからここにいる」ということです。それぞれの置かれた立場や職業は違うけれど、社会での立ち位置を確立し、そこで毎日、頑張っているのです。あの頃の小学生が大人になって社会に出て頑張ってここにいる。それだけで物語が書けそうです。

一人の同級生は「私は一冊の物語は書けると思います」と言うと、「私も波瀾万丈があるから書けると思います」と話してくれたように、みんながそれぞれの生き方をしてきたので物語を持っているのです。それはこれからも続く物語なので、エンディングを迎えるのは、しばらく先になりそうですが。

今日、知ったことですが、同級生の経営している居酒屋のお店の看板は、同級生Nさんが書いたものだということです。書道家でもあるNさんが同級生のために書いたものでこのことを知ると改めて「良い店の名前と文字」だと思ってしまいます。

Nさんは「今日は楽しい日となりました。明日も楽しい日に、明後日も楽しい日になれば、それで良いと思います」と書家らしい達観した話をしてくれました。

それにしても勉強の話はなく、同級生の人柄や遊んだ話ばかりが話題となります。小学校の時の勉強の思い出話はほとんど出てきません。これは意味のないことではなく、小さなころの自分の中に入り、現在までの生き方の基礎になっているから、当たり前の資質になっているので登場することはないからだと思います。勉強や教師から教えられたことは基礎力になって、社会で生きるための武器になっていることを感じます。

またZさんは「私は私で頑張ってきたと思う。今も仕事ができているのは嬉しいことですし、好きなことに時間を使えるようになっている今が大切です」という話もありました。

生きることは簡単なことではなく、頑張って、迷って、また歩き出して。そんなことの繰り返しだと思います。そんな毎日の中に嬉しいことがあり、嫌なことがあり、それでも楽しかったと思える一日があるのです。それは生きている限り、私達のところに確実に訪れてくれます。

生きている限り訪れてくれる今日という日を、楽しい日になるように活動したいと思います。やがて今日という日が訪れない日がやってくるからです。限られた時間の中に喜びも辛いこともあり、それらを総括してこれまでの日は「楽しい日々だった」となっているのです。

あの頃の小学生の時間はもう40年以上も経過しています。多くの人に支えられて、育てられてきました。同じぐらい人を応援して、そして励まして、私達もまた多くの人の心の中に存在しています。50年も経過すればこれらのことを知っている人はいなくなり、全て忘れ去られてしまいますが、それでも生きたこと、人のために尽くしたことは意味のあることだと思います。

これまで多くの人が同じように生きてきたからです。全ての人が間違いの人生を過ごしてきたことはなく、先人たちが示してくれたものが生き方だと思います。私達も同じように生きて、後の人が「目指したい」と思ってもらえる小さな存在になりたいものです。少しでも先に進むこと。それが後に続く人のためになることですから、抽象的になりますが、「さぁ今日も、頑張っていこう」と思うのです。

夏の夜は更けていき、小学生に戻った大人達はシンデレラの時間を迎えたことで、また令和の日に戻っていきました。