活動報告・レポート
2019年7月10日(水)
誇りと恥
誇りと恥

国に誇りを持つことを国威と言います。この意味は「国の威力。一国またはその国を治める威力や権威。また、国家が対外的に誇示する威力」と紹介されていますが、国民である私達が国を誇りに思うことによって国づくりを行った結果、尊敬される国になった暁のことを国威と言いたいと思います。国に威厳を持たせる力は、国民が国を誇りに思い築き上げている過程、および自信と誇りを持っていることから生まれます。

自国に誇りを持っている国民が暮らす国のことを外国は尊敬します。尊敬する国、人達を攻撃する国、敬意を払っている国を攻める国はありません。そんな国があれば国際世論は許しませんし、世界から尊敬される国を攻撃した国は、世界中の国々から攻撃されることになります。尊敬されることはそれだけ凄いことなのです。

国の誇りとは、国民そのもの、文化と歴史、国民が持っている価値で、自国のみならず世界中の国の平和を思っていることなどが生まれます。だから人材育成のための教育は大事ですし、国を護ることも大事なことなのです。国を護ると言うと戦争を仕掛けられる状態に持っていくことと思う人達がいますが、争いを仕掛けることが国を護ることではありません。戦わずして勝つこと、外国に日本を攻め入ることを恥だと思わせて国を護ることなど、戦いを防止することが国を護るということなのです。

風邪をひいたので病院に行くのではなくて、風邪をひかないように身体を守ることが自国の防衛だと思うのです。国の未来を護り続ける状態に置くことが未来への投資なのです。

日本では、誇りとは恥を知ることだと言います。恥を知ることで恥じるような行動をしないので、自らの行動に誇りを持てるのです。恥とは人を貶す、事実を隠して自分の都合の良いように言う、そして陰口を言うなどの行為のことです。そして誇りとは言い訳をしないで耐えること、堪えること。そして人のために尽くすことです。誇りと恥の間には大きな隔たりがありますから、誇りを持った行いを心掛けたいものです。

論より証拠

「論より証拠」が大事な話をしてくれました。現代社会では、情報を容易に入手できることから、論じることは経験や行動をしなくてもできますが、行動していなければ証拠を出すことはできません。自分が経験したことで得た証拠があれば、現場を知らないで論じるばかりの人よりも結果は出せるということです。民間企業や商売で求める結果は利益であり、政治においては政策の実現です。論じているだけで現場に出る、お客さんと会う、インターネットに出店するなどの行動がなければ利益を得ることはできません。政治家が行動を伴わないで論じるだけでは政策を実現することはできません。結果を出すためには行動が必要だということです。

もうひとつ話してくれたことは、いい加減な人に仕事の依頼はしないということです。いい加減な人は、生き方や行動などの過去がいい加減だったから、そう評価されているのです。だからいい加減な人に仕事を頼むことはありません。

だから、生き方や過去からの行動から信頼できる人に仕事の依頼をすることになります。いい加減な人は、自分の過去を見ることなく、尚かつ認めることなく、自分に仕事をくれない人のことを悪く言うことがあります。そんな態度をしていると益々信頼されなくなります。

それよりも過去を振り払うことは長い年月を要しますが、不満を言うことなく与えられた仕事を確実に仕上げることで、過去と決別することができます。過去を消すためには時間を要しますが他に方法はありません。社会で信頼を得ながら仕事をしている人は、いい加減な人と仕事をした結果がどうなるかを分かっているからです。

いい加減な人は仕事がうまく行かなかった時は、仕事を与えてくれた人の悪口を言いますが、品格のある人はそれに反論することなく耐えます。同じ価値を共有していない人と論争をしても次につながらないことを知っているからです。平気で悪口を言う人と、耐えている人のどちらが信頼されるのかは、その後の二人を見ると明らかになります。

こんな話を聞く機会をいただきました。

「論より証拠」と「いい加減な人と仕事はしない」ことを心掛けたいものです。