一時期、共生という言葉が流行しました。共生関係、地域共生など使われたことがありました。最近は余り聞かなくなっていますが、それは共生の考え方が消えたのではなくて、共生の考え方を盛り込んでいることが社会の約束事、つまり前提になっているからだと認識しています。
全てのことにおいて共生関係にあることを前提に物事を考えて行動しているのが現代日本社会だと考えています。
新しい考え方に基づく言葉が誕生した時はその言葉を頻繁に使いますが、それが常識になってしまうと使わなくなります。共生という言葉も物事を進めるうえで前提となる概念です。
そのため通常は共生という言葉を使うことはありませんが、時に、地域社会と共生関係になっていない事案が発生すれば、「共生」の言葉が使われるようになります。これは忘れられているものではなく、「当然のことですが、共生の概念をお忘れではありませんか」と相手に問い質す意味から使われることになっています。
もし地域との共生関係が築かれていない場合は「地元のことを考えていない」ことになり、「信頼できない事業者」と思われることになります。地元から信頼されていない事業者が、当該地域で事業を計画した場合、地元から反対の声が上がることになります。事業者は真摯に地元の意見を聞くことが信頼関係の前提となります。事業者が地元からの意見に対して聞く姿勢がなければ、その計画は進めることが難しいと考えるのが一般的です。何故なら、現代の日本社会は地域と密接に関係する事業計画を進めるにあたって、地域と共生する考え方を求めているからです。
かつて地域共生の考えが企業内に浸透するまで、管理部門に地域共生の部門を置く企業もありました。「その仕事は地域と共生できるものであるか」、「地域の方々の意見を聞いて取り入れているか」などの内部の審議を経て、地域と共生できる事業は進め、そうでなければ検討する事例もありました。やがて共生部門がなくても、仕事を進める前提として共生の考え方が備わるようになり、企業内で共生部門の役割は終えることになります。
しかし企業が立地している地域社会と共に発展するために、メセナ活動などと共に地域共生の考え方を持ち、その思想は企業に浸透しています。ですから共生活動を実行している企業の多くは地域との信頼関係を保っています。
ずっと以前、地域共生の考え方の教育を受け、実務で実践した経験があります。最初は「何が共生なのだろう」と思ったこともありましたが、その答えは「その事業を行うことによって影響がある地域の皆さんの話を事前に聞き事業の中に含めることや、それで難しければ地域が望む他のことで協力する」ことに至りました。
今再び、地域共生の考え方を議論することが発生しています。今日、地域の開発を伴う事業に関しても要望を聞かせていただきました。開発の地元で生活している皆さんが不安に感じているものは、「当該事業が日常の生活を脅かすことにならないのか」そして「事業者を信頼できない」ことにあると感じました。地域と共生する考え方を持っているなら、もっと違う形になっていたと思います。この問題は、地域の皆さんの考えや思いを聞いて対応していきます。