竈山神社の雄誥祭に参加しました。毎年5月8日に開催されているお祀りなのですが、神武天皇の長兄である彦五瀬命の命日が今日の日なのです。言うまでもなく竈山神社は彦五瀬命をお祀りしているので最も大事な日とされています。
神道では人が亡くなると神様になるとされていることから、初代天皇の長兄が神様としてお祀りされています。神道では天国も地獄もなく、現世と隣り合わせの空間に別の世界があり、人は死ぬと神様になってその世界に行くことになると伺いました。そして神様として現世の子孫を護ってくれているそうです。
ですから死は恐怖ではなく、神様になるための通過点という考えです。人は死ぬと神様になる。そう考えると死は怖いものではなく本当の自分が存在している場所に行くことであり、姿を変えて子孫を護る立場になることを意味しています。
そのため神道では神様や仏様ではなく先祖を神様として敬うことになっています。先祖を敬うことは日本人としては自然なことですが、この思想が世界に広まるなら今よりももっと平和な世界につながっていくと思います。
このような考え方に立つと、この国の富国を望み、国を護る立場にあった彦五瀬命が神様としてお祀りされている竈山神社は私達を護ってくれている存在だと言えます。神武天皇の一行の東征は、食料の不安定さを解消するため米作を伝えながらのものであり、国を豊かにすることが国の安定と平和につながると思ってのものでした。その精神から推測すると、雄誥祭は私達を護ってくれている神様を称える式典だと言えます。
また後に大和の国で初代天皇となった神武天皇は、長兄が眠るこの場所を家来に護らせていたことを聞きました。そのため竈山神社の由来は確かではないようですが、神山が元になり竈山と命名されたようでもあることを聞かせてくれました。神話かも知れませんが、とてもきれいでそうであって欲しいと思える話です。
また竈山神社の所在地は和歌山市和田ですが、和田とは海だった場所を示す地名だそうです。神武天皇がこの場所を訪れた時、ここは海だったようです。ここで彦五瀬命が命を落としたのは太陽に向かって進行していたためだと神武天皇は考え、ここから南下して紀伊半島の南側から大和の国へ北上していったのです。この国を平定した神武天皇は、山に囲まれたこの盆地を大和と命名したそうです。海は湊であることに対して、山に囲まれた土地のことを大和と呼んだことから国の名称になったそうです。
神山や大和の由来を聞くと、日本史が素敵な物語に彩られていると思います。
雄誥祭を終えて宮内庁が管理している彦五瀬命のお墓に行きました。ここは遺跡ではなくお墓であることは所在がはっきりしていて、彦五瀬命という神様をお祀りしていることを示しています。そのため毎年5月に宮内庁からお祀りに来ていることを知らせてくれましたが、これはこの地域の誇りだと思います。
この雄誥祭について記します。竈山神社最大のお祀りですが、意外なほどに参加する人は少ないのです。それは彦五瀬命の命日であることと、彦五瀬命が自分のことで賑わってもらうよりも自分以外の人のことを大切に思っていたことに起因しているようです。祀りごとはお祭りではないので、神聖に、そして厳かにすることが基本から雄誥祭も静かな式典となっています。
ただこの国の平和と繁栄を願って建国しようとした神武天皇の長兄を祀っている竈山神社の大事な式典ですから、もっと多くの人に参加して欲しいと思いました。このお祀りの趣旨を理解してもらってより多くの人に参加して欲しいと思いますから、呼び掛けていきたいと考えています。
令和元年の雄誥祭に参加できたことを嬉しく思います。