先日、郵便物を見るため実家に立ち寄った時、庭の草が気になったので草引きに行ってきました。雑草が茂っていると氣の循環が良くないように思うので、背が高くなる前に除草しました。お母さんかいる時「こんな作業を全てやっていたんだな」と思いながら、母がいた時と変わらない環境に近づけるようにしました。誰もいない庭ですが、ここに春の花が咲き、サボテンも元気に育っていたので微笑ましくなりました。お世話をしなくても元気に育ってくれていることを嬉しく感じたからです。
草引きの後、休憩のため実家に入りました。玄関を入るとお母さんが迎えてくれるような気がしたのですが、やはり無人の実家は寂しく思いました。しかし今も変わらず懐かしい空気が満ちた環境で僕を迎えてくれました。
いつもだったら「お腹空いてない」だとか「少し休んでいくように」と声をかけてくれて、夕食を作ってくれたり、冷凍していたお好み焼きやご飯を出してくれたり、食後にはコーヒーやデザートを出してくれたのですが、声を掛けてくれる人がいないことを更に寂しく感じました。
テレビを見ながら、お母さんと何気ない会話を交わし、ゆっくりとした時間を過ごすことが、どれだけ幸せなことだったのかを強く感じます。
「ちょっと、ゆっくりするように」、「無理したら駄目ですよ」、「たまに休憩しに来るように」、「時間がないと言わないで、食事を作るから食べていくように」など、子どもに言うような言葉をかけてくれていたことを懐かしく思い出します。
僕は「また来るから」、「今日、時間がないからご飯は少しで良いから」などの返事をして、あまりゆっくりしなかったことを悔やみます。
間違いなく母は、ゆっくりと食事やコーヒー、デザートを出してくれたのは、僕といる時間を少しでも長引かせたかったからです。少しでも子どもと一緒にいたいと思う気持ちを分かりながら、自分のやるべきことを優先させて実家を後にしていたことで、母に寂しい思いをさせていたと思うと心が痛みます。
母にとって子どもといる時間が何よりも大事で、楽しみだったと思います。いつも子どもの体のこと、健康を気遣ってくれていたのです。
今でも後悔していることがあります。母が亡くなったのは平成30年11月10日の土曜日ですが、その週の水曜日、11月7日に実家に行った時のことです。その日はお腹が痛かったので、実家に行ったけれども「少し横になるから」と言って横になっていたのです。母は夕食を作ってくれて「食べていって」と言ってくれたのですが「今日はお腹が痛いからいらいない」と返事をして食べなかったのです。
あの時の食事は何だったのか分かりませんが、本当に申し訳ないことをしたと思っています。子どもが来てくれたから夕食を作ったけれど、僕は体調が悪いから食べなかったのですから。僕は「いつでも母の食事は食べられる」と思っていたのです。ですが、母の食事を食べる機会は訪れませんでした。「最後に母の食事を食べておけば良かった」と思うと、今も心が痛みます。どんな気持ちで夕食の後始末をしたのでしょうか。自分で食べたのか。食べないで処分したのか分かりませんが、母の気持ちを察することなく「寂しい思いをさせたなぁ」と思います。
台所を眺めると、今も母がいて話しかけてくれるように思いましたが、母はいないで静かなままでした。
平成30年11月までは母がいて、その4年前までは父もいた実家ですが、今は誰もいない家屋になっています。僕が高校2年生の時にこの家に引っ越してきたので、誰もいない実家になっていることは嘘のようです。人がいない実家は寂しさの極みであり、懐かしさの塊です。かつて僕の部屋だった2階の部屋に入ると、当時の本や資料がそのまま置かれていました。「本当に長い長い時間が経過している」ことに気づき、「これまで生きてきたことの意味は何だったのだろう」と思いました。
この家に来た時、僕は17歳だったのですが、今は57歳になっています。40年という長い時間を生きてきた訳ですが、「果たして社会に貢献できているのだろうか」と思います。
母が教えてくれた「優しさ」、「親切」、「人のために」という思いを社会に伝えることが母への恩返しだと思います。実家に行くことで感じることはたくさんありました。
お母さんの弟の叔父さんの家に行き、暫しの会話を楽しみました。母の会話ができることは嬉しいことであり、母の残したことを知ると心が清らかになっていきます。そんな叔父さんも80歳を超えましたから、いつまでも、いつまでも健康で長生きして欲しいと切に願っています。