令和に入って三日目。新しい時代をお祝いする空気を感じています。時代の変わる時を経験出来ていることを嬉しく感じています。そんな喜びの空気を伝えるために、和歌浦と鷹匠町の二か所にお墓参りに行きました。
和歌浦のお墓は片桐家のお墓で父母が眠っています。月命日、昨日もお参りしたのですが、最近の暑さでお花が枯れかけていたので、新しいお花をお供えするために今日もお参りしてきました。やはり新しい花を供えると気持ちが一新し、居座り具合が格段に良くなります。お線香をお供えし、昨日に引き続いて令和の空気を伝えました。いつものように微笑んでいるような気がしました。
そして鷹匠町にある南海身延感應寺にお参りしました。ここは母の父母が眠るお墓です。本当にこちらにもお参りしなければならないのですが、少し久しぶりになったことを反省しています。
墓地に向かって歩き、お墓が近づいて来ると幼い日のことを思い出しました。
「ここは誰のお墓」。
「お母さんのお父さんとお母さんのお墓だよ」。
母のお父さんとお母さんは早く死去していたため、僕は一度も会ったことはないのでイメージが沸きませんでした。だから母の父母のお墓と言っても会ったことがなく、小さい頃の僕は大切な人だとは思っていませんでした。だから退屈な時間のように感じながらお参りしていました。
母と一緒に歩きながら「このお墓は何なの」と尋ねると「無縁さんと言って身寄りのない人のお墓なので、お寺がお参りしてくれているのですよ」というような話をしてくれていたことを思い出しました。「ふ〜ん」と頷きながら歩いていくと墓地の管理棟があります。
ここでお水をバケツに汲んでお墓まで持っていくのです。幼い僕には水の入ったバケツは重かったので母が運んでくれていました。
お花とお線香を供えてお水をお墓にあげるのです。その仕草を見て真似をしながら一緒にお参りしたものです。幼いころの母と一緒の姿を思い出すと懐かしくて涙が零れました。
管理棟から「岡本家」のお墓までの距離は、当時の僕には少し長かったので、遠いところまで来たような気がしていました。(今は勿論、その距離は近く感じています)。
当時と同じようにお花を供え、お線香に火をつけてお水をあげます。見たことのない母のお母さん、僕のお祖母ちゃんに報告しました。
「お祖母ちゃん、あなたの子どもの僕のお母さんがそちらに行きました。お母さんを迎えて下さいね。あなたの子どもはとても優しくて立派な人でした。人として、母としても役割を立派に果たしてくれました。
お母さんは僕を生んで育ててくれました。社会で通用する、貢献できる人として育ててくれ、この地で活躍する立場を与えてくれたのです。お母さんが与えてくれた場所に僕はいます。本当に凄い人ですから、お母さんのことを迎えて一緒にいて下さいね。
お祖母さんがいなければあなたの子ども、僕のお母さんは生まれていませんでした。お母さんがいなければ僕も生まれていませんでした。お祖母さんが与えてくれた命をお母さんから授かっています。あなたの子どもはたくさんの愛情、優しさを僕に与えてくれました。僕はその優しさを、これからもみんなに与えていくことになります。優しい母が与えてくれた優しさをみんなに分け与えていきます。それは母が望んでいたことだと思うのです。勿論、お祖母さんも子どもだった僕の母に優しさを与えてくれたから、優しい人になったと思います。それを受け継いでいる僕が、社会に二人の優しさという種を植えたいと思います。見守っていて下さいね」とお墓の前で報告しました。
ここに母はいないかも知れませんが、素晴らしい母を生んでくれたお祖母さんに心から感謝しています。心から「ありがとう」と伝えます。