活動報告・レポート
2019年1月16日(水)
議会報告会
議会報告会

午前中は議会報告会を開催しました。今回は平成30年12月県議会定例会の中から主な施策を取り上げ説明しました。和歌山版PFI制度を活用した施策に関しては、串本町での民間ロケット射場の誘致に取り組みがあります。民間ロケット射場を誘致すれば全国で初めてなので、何としても和歌山県で立地したいと考えています。

また和歌山市内において岩谷産業が水素ステーションの建設を開始していることの説明も行いました。和歌山県内で水素自動車は個人で3台、法人で2台と聞いていますが、水素供給場所がないため、市内で走行している姿を見たことがありません。水素ステーションが存在していることが水素自動車の普及拡大につながるので、市内で建設されることを歓迎しています。関西広域連合では水素社会の実現を目指して水素ステーションや水素自動車の導入を目指していますから、和歌山県もようやくその政策の中に入れる段階になりました。この次は公用車への水素自動車導入も目指して欲しいところです。このことは県議会本会議で提言しています。

風力発電に係るゾーニング実証事業についても説明しました。和歌山県の事業計画は平成30年度で採択されています。和歌山県の洋上風力で、日高郡から西牟婁郡までに串本町を加えた地域の沿岸海域を対象としています。このゾーニングを踏まえた事業計画が立案されると地元の理解が得られやすくなり、環境アセスメントに要する審査期間や調査期間の効率化、短縮化が見込めるので導入が促進されることになります。和歌山県として洋上風力発電の導入を進めようとしています。

そして平成31年度の新政策についても説明しています。その後、質疑の時間を取りました。質問項目は次の通りです。

  • 統合型リゾートが大阪府にできるとした場合、和歌山県は不利になる、または立地の可能性がないのではないですか。
  • 統合型リゾートの立地場所は決まっているのですか。特定しないで可能性を拡大する方が事業計画を策定しやすいのではないでしょうか。
  • 自動運転の実験を和歌山県で実施できないのでしょうか。白浜町ではICT事業者の集積を行っていますし、和歌山県としても先進技術を取り入れて欲しいと思います。

以上の質問に答えて議会報告会を終えました。皆さんに感謝しています。

和歌山文化協会

和歌山文化協会新年会に参加しました。茶道部の一員として参加し他の部会との交流を行いました。席上、茶道部会長と6月の懇親会と見学会について話し合いました。6月の懇親会に続いて社会施設見学会を行うことにしました。

今年も茶道部としての活動が始まりました。

和歌山市料理飲食業組合役員会

和歌山市料理飲食業組合の役員会に顧問として参加しました。役員会では時間いっぱいに議案の議論が交わされ結論を出してくれました。僕の挨拶の主旨は次の通りです。

新年おめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。先日、専務理事を訪ねた時「飲食組合に加入しているお店を利用して下さい」と案内を受けたので、飲食店のガイドマップをいただき皆さんに周知しているところです。勿論、組合に加入しているお店を利用してもらっていますが、更に組合員さんのお店を皆さんに知ってもらいたいと思っています。

顧問としてこれまで飲食組合の課題解決と発展を目指してきたので、今年も引き続き皆さんと共に、和歌山県の飲食業界の発展を目指したいと思います。

新春の集い

支援をいただいている団体の新春の集いの案内をいただき参加しました。明るい皆さんが集うこの新春の会は毎年、盛り上がるのでとても楽しみにしています。今回も軽快なテンポで紹介をしてくれました。紹介は「紹介を一番楽しみにしてくれている方を紹介します」という導入の言葉で、昨年の主な活動を引き合いに出して僕の紹介をしてくれました。

僕はどんなフレーズで紹介をしてくれるのかを毎年楽しみにしているので、この会の司会を担当してくれる皆さんに「楽しみにしています」と毎年、伝えています。今回も楽しみにして参加したところ、期待通りの楽しい紹介をしてくれたので嬉しく思います。

皆さん、新年おめでとうございます。今年も楽しい言葉で紹介をしていただき感謝しています。日頃からの支援に深く感謝しているところです。

先ほど議長から「平成元年の出来事」の紹介がありました。平成元年は僕の感覚で最近のことのように思えるのですが、もう30年も経っていることに驚きます。僕の名前は片桐章浩ですが、僕が生まれた当時、現在の皇太子殿下が誕生した頃だったこともあり、「浩」の漢字をいただき名前にした男の子が多かったようです。現代であれば翔や拓哉などの名前に人気があるように、当時は浩の漢字を使用した名前が流行っていた時代でした。そんなころに生まれた僕は「章浩」と名付けられたのです。

昭和30年代と昭和40年代の社会を支えていたのは、今思うと、昭和生まれではなく大正や明治生まれの人だったことに気づきます。昭和40年を例にすると、昭和元年生まれの人は40歳ですから、まだ社会をリードする年齢ではなかったと思います。大正や明治生まれの人が社会を作っていたと思います。平成から新しい時代に変わると、昭和は遠い過去のように思えますが、平成生まれの人でもまだ30歳ですから、新しい時代になっても昭和生まれの私達が社会をリードしていく時代は続くと思います。ですからまだ次の時代の初頭も昭和生まれが社会を築く覚悟を持って挑みたいと考えています。

皆さんの期待に応えるため、三期目も聞かせてもらった意見や課題を県議会で取り上げてきました。三期目の県議会定例会は15回開催されていますが、そのうち13回登壇して議論を交わしてきました。皆さんの期待に応えられる議会活動をしてきたと自負しています。これからも皆さんの期待にこたえ続けたいと思っていますので、引き続きのご支援をお願いして新年の挨拶とさせていただきます。ありがとうございます。