髪の毛のカットに行ったところ、そこで音楽や母親の話になりました。このお店は同級生のお店なので同じ時代の空気がある為、近い時代観の話となります。
映画はクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」のサントラを聴きながら、観た感想を伝えてくれました。クイーンのいた時代を生きた僕たちにとって懐かしい音楽ですが、今、聴いても新鮮な感じがします。もう時代が流れて伝説のバンドになっていることを不思議に思いますが、振り返るとあの時代は友人達と「これから」があり楽しい時代でした。
そして音楽の話は「いのちの歌」に尽きました。この12月にmiyaさんのミニライブを実施したこととその経過を説明したので「いのちの歌」を聴きながらカットをしてもらいました。同級生も大好きな歌なので、直ぐに店内から聴こえてきました。
miyaさんのミニライブではアンコールの曲として、「いのちの歌」を歌ってくれたので、二人とも感動に包まれながらオリジナル曲を聴きました。
二人とも「この年齢になるとこの曲の歌詞の意味が分かるよなぁ」、「この歌を聴くと涙が出てくるよね」など尽きない話を交わしました。
同級生も母親を亡くした時、「涙が止まらなかった。母親の存在は特別で、あれだけ涙を流したことはなかった」と話してくれました。僕も全く同じで、あれほど号泣したことはなかったと思います。そんな二人がこの曲を感動しながら聴いていました。
あれからたくさんの人生経験を積んできたので分かることがあります。若い時だったら感動しなかったことでも、生きてきたから分かることもあります。年齢を重ねることは思い出を積み重ねてきたことなので、誰かの人生を称える言葉が自分の人生にシンクロします。同じ人生経験を持つ人はいないと思いますが、誰かが伝えてくれる人生のメッセージは自分の人生と重なって感動します。それが人生経験を重ねてきたことであり、改めて思うと、「人生は宝物を受け取りながら日々を過ごしている」ようだと思います。
毎日、毎日、宝物を受け取っていることに感謝したくなります。朝日を浴びる朝。友人たちとの会話。日常の活動ができること。食事をいただけること。一日の終わりに感謝できることなど、毎日の出来事の全てが宝物なのです。
だから不満を抱くような日を過ごしたくないと思います。宝物を受け取っているのに不満を感じるなんて、実にもったいないことです。
「生まれてきたこと、育ててもらったこと、泣いたこと、笑ったこと、その全てにありがとう」と思います。
生まれてきたことが奇跡であり、宝物のような毎日を生きていることも奇跡です。この世に生んでくれたことに感謝ですし、この時代、この場所、この人達のところに命を与えてくれたことにも感謝です。
ただ歌の歌詞にあるように「ささやかすぎる日々の中にかけがえのない喜びがある」ことに気づかないと幸せを感じられないことがあります。「ささやかな毎日を生きられるための命が与えられていることに喜びを感じること」が、毎日の幸せになると思います。
毎日が奇跡でできている。奇跡ともいえる毎日を生きている。表現は様々ですが、奇跡のような毎日を生きていることに感謝したいと思います。幸せな毎日を過ごせているのはこの世に生み出してくれたお陰ですから、与えられている命に感謝する毎日を過ごしたいと思います。
そうでないと母に申し訳ないことになります。この命は不満を言うためでなく、悪口を言うためでもなく、自分のやりたいことをして幸せになれるように、そして社会に役立つために生んでくれたと思うからです。