活動報告・レポート
2018年12月23日(祝・日)
母の四十九日

早いもので母の四十九日を迎えました。初七日から毎週木曜日に法要を行ってきましたが、いよいよ四十九日の日を迎えました。毎週の法要の機会がなくなり、母が天上界に旅立ったので少し寂しいような気がします。ここにいて見守ってくれていたのが、今日以降は天上から見守ってくれることになります。距離は離れますがいつも近くで見守ってくれていると思います。

さて午前11時から和歌の浦の毘沙門寺で法要を執り行いました。親戚の皆さんに集まっていただき母を送りました。写真の母は変わらぬ笑顔で見てくれていました。皆さんからは「幸せだったと思いますし、今も幸せになっていると思います」、「みんなが見守ってくれているので幸せですね」なとの言葉が寄せられました。

僕も母の人生は良い人生であったと信じて送りました。

「南無阿弥陀仏」と唱えられるとその言葉が「ありがとう」と聞こえてきました。「ありがとう、ありがとう」を繰り返しているように聞こえてくるので、同じように母に「これまでありがとう」の言葉を繰り返しました。

「ありがとう」の言葉と共に幼い日の出来事が浮かんできました。お母さんが一緒にいることが当たり前で嬉しかった小学生低学年の頃、中学年になると参観日などに来てもらうことは恥ずかしくなり「参観日は来なくていい」などと言っていたことも思い出しました。

運動会の時は運動場にゴザを敷いて、お弁当を作って見てくれていたことも思い出しました。見守ってくれていることが当たり前だと思っていましたが、自立心と共に、やがて学校行事から母の姿が消えていきました。中学生や高校生の時は心配して遠くから見守ってくれる存在になりました。が、いつも僕のことを心配してくれていたことを思い出します。その姿は亡くなるまで変わらず、57歳になった今も僕のことを子どものように思っていたようです。最後まで僕のことを心配してくれていました。話しかけてくれる言葉は、「体は大丈夫ですか」、「無理をしたらだめですよ」、「ちゃんと食べていますか」、「たまに休まないと駄目ですよ」、そして「疲れた時はいつでも休みにおいで」といった言葉です。

常に言ってくれるということは、僕がその言葉を聞いていなかったということですから、ずっと心配をかけていたと思います。

体は丈夫ですが、疲れた時でも無理をしていますし、食事は食べないことが多く、また不規則です。実家で休むことは殆どなかったと思います。お母さんの言うことを聞かないままの生活だったので、そんなことを知っていた母はいつも心配してくれていたようです。

「食べに来て下さい」と連絡があり、「行きます」と伝えた後もいつも仕事をしていたので「まだですか」と連絡が来ることが頻繁にありました。

そんなラインが途絶えて一か月が経過しています。今でも母からのラインが来なくなったことを寂しく感じています。

そんなことを思いながら法要の時間を過ごしていました。それぞれ母との思い出を頭に浮かべていたと思います。お別れの時は、いつも悲しくて寂しいものです。亡くなった日、葬儀の日、そして四十九日の今日と三度のお別れの時を迎え、そして過ぎていきました。

一層寂しくなりますが、これからは天上界から見守ってくれることと思います。毎日を、そして人生を頑張っていくから心配しないで下さいね。

皆さんと食事をいただいて母がやってきた仏壇にお参りをしました。やっと母は心配しないで傍でいられることに安心したような表情に変わっていました。これまでの全てのことに感謝しています。本当にありがとう。