活動報告・レポート
2018年12月9日(日)
宗光と龍馬
宗光と龍馬
岡公園 陸奥宗光像の見学

坂本龍馬十代目の坂本匡弘さんと岡公園の陸奥宗光像の見学を行いました。龍馬には三人の師匠がいたと言います。佐久間象山、勝海舟、そして横井小楠の三人です。象山と海舟から開国論を学び、小楠からは民主化について学んだようです。

当時、武士は頑固な人が大半で人の言うことを聞かないで自分を通す人が多かったようです。龍馬の優れたところは人の言うことを聞くことができたこと。素直に聞き入れる度量があったことのようです。人の言うことを聞く姿勢があり素直であった。龍馬の神髄だったように感じます。先人の言うことを素直に聞いて、納得すれば受け入れることができる人物だったのです。やっぱり凄い人だったと思います。

そして幼い頃から欧米の文明は日本と違うことを実感していたことを聞きました。龍馬の継母の実家は貿易商をしていたことから船で海洋に出ていたようです。

そこで外国船にも出会い「外国の文明は日本と違う。もし外国と戦うことになれば日本は負ける」と感じていたことが大人になってからの行動の基礎になっていたようですし、象山や海舟の言う話を素直に聞くことができた要因だったかも知れないのです。外国船から列強の力を現場で感じ取っていたことが考え方に影響を与えていったのです。

武士道を基本としながらも考え方に柔軟性があり、それが龍馬を大きく成長させていったようです。

もうひとつ龍馬が感じ取っていたことがあったようです。それはロシアの脅威です。当時のロシアは南下政策を取っており、ロシアが南下してくると北海道が危険になることを感じていたのです。大政奉還を終えた後は北海道に渡り、開拓と防衛をしようと思っていた形跡があることを話してくれました。但し、その前に京都で暗殺されたので、実行に移すことはできませんでしたが、明治31年に龍馬の子孫が北海道北見に渡っています。そこでハッカの栽培を行っていたことが、北見ハッカの元になっているということです。

坂本匡弘さんと和歌山城見学

このことから龍馬は明治政府に入ることには関心がなく、新政府が樹立した後は北海道でビジネスをしようと考えていたようだということです。ビジネスが好きで、ビジネスをするためには国家の信頼性と安全性を高め、列強と対等の立場に立つ必要があります。そのため新国家を築くことを目指したのではいう話は興味深いものでした。

また龍馬と宗光とのエピソードで有名なのは「刀がなくても生きていけるのは俺と陸奥だけだ」の話です。龍馬の面白いところは「陸奥と俺だけだ」と言わないで、自分を先に持ってきた点にあります。

「自分を先に持ってきたところが、ユーモアであり自信でもあったのかな」というところです。そして「陸奥も変わり者だと思いますが、龍馬も変わり者だった」ということです。

さて高知県と和歌山県は同じ黒潮の文化、太平洋に面した雄大な文化があり、似ていると思います。太平洋の海原のように大きな人間を輩出していると思います。紀州宗光龍馬会の発足を機に、両県の交流機会を増やせることができれば、師弟が両県をつないでくれると思います。龍馬のファンが弟のような宗光の故郷を訪れてくれるかも知れないからです。両県の偉人が現代を動かしてくれるかも知れない。そんなことを思うとワクワクしてきます。

坂本さん達と岡公園の陸奥宗光伯銅像と和歌山城を一緒に見学いたしました。こんな素晴らしい朝に感謝しています。

高知県は坂本龍馬を輩出し、和歌山県は陸奥宗光を輩出させています。県が誇る偉人を自然に称えられる県でありたいものです。坂本龍馬十代目と会って話ができたことを嬉しく思います。坂本匡弘さんと会って話ができた楽しい二日間となりました。

サンタラン

和歌山市で初めて開催されたサンタラン。千人を超える参加者があり、素晴らしいイベントになりました。初めての開催で千人も集まった和歌山市の底力は凄いと思います。これだけの活力がある和歌山市ですから、今日、そして未来は明るいものになると思います。参加して良かったと思っています。

サンタラン サンタラン
訪問活動

サンタランの後、皆さんのところを訪問させていただきました。寒い午後でしたが、温かく迎えてくれたので心も温まりました。皆さんと話をすることで、共に元気な和歌山県を作っていくことの気持ちが高まってきます。皆さんに感謝しています。ありがとうございます。