和歌山市内で一万人大清掃が実施されたので、市内の幹線道路である宮街道沿いの清掃に参加しました。例年よりもゴミが少なかったので、順調に清掃することができました。参加した皆さんから「今年はゴミが少ないですね」と会話し、沿道を清掃しながら歩きました。たばこや紙コップやプラスチック容器などが減少していたので、確かに例年よりゴミの量は少なかったと思います。
その代り落ち葉が多く、歩道に張り付いていました。落ち葉は清掃の対象ではないのですが、店舗前や事務所前の落ち葉は拾ってきれいにしておきました。月曜日、これらの会社の人が出社した時、気づいてくれると思います。
秋日和の今朝、清掃を実施して気分が良くなりました。
秋の収穫感謝祭に参加しました。案内をいただいたことから参加しましたが、季節を生きる命の大切さを感じることができました。
強い風や降り注ぐ雨に耐えてきた植物が、秋に果実となり命を育むことができるのです。その命を人間がいただいて今を生きることができているのです。収穫感謝祭は、辛いことに懸命に耐えてきた命を人間のために捧げてくれる実りに感謝することです。
11月は収穫に感謝する月ですから、長い月日を経て収穫できる喜びを感じ、感謝の気持ちで命をいただき人と接したいと思います。
また、人が喧嘩をするのは、相手を理解する力に欠けているからだと教えてもらいました。収穫祭を主催してくれた人物が、練れた人でさえ、イライラしている時は人前に立たないようにしていると話してくれました。そして、しっかりとした気持ちが持てる時に人前に立つべきであって、心が落ち着かない時に人前に立つことは精神的に難しいことを伝えてくれました。
確かに心が疲れている時に人前に立っても良い話になりません。イライラしないこと、気持ちを落ち着かせることなどに留意しながら、人前に立たせてもらえる役割を与えてもらっていることに感謝したくなりました。
さて収穫感謝祭に当たり挨拶の時間をいただきました。
皆さん、おはようございます。収穫感謝祭にお招きいただいたことに感謝しています。今日、収穫祭に際しての話を心の中で聞かせてもらいました。秋に食物を収穫できるのは、命の素を抱えた植物が雨風に耐えてきたからです。途中で倒れたり踏みつけられて起き上がれなかった時には、秋に命を実らせることはできません。命を育まなければ植物は人に命を捧げることはできないのです。
春に命の素が芽生え、夏に成長していきます。夏は暑さや台風などの試練にさらされますが、それに耐えて秋に実を実らすことができるのです。人が果実を収穫できるのは、植物などの体の中に宿っている命が懸命に生きてくれたからです。
そんな大切な命を秋にいただくことができる。これは奇跡であり今の僕には命の尊さ、大切さは昨日よりも強く感じることができます。季節は命を育み実らせてくれます。大切な命は毎年、季節と共に巡り、その度に新しい命を誕生させてくれます。但し個体で見ると決して同じ命はありませんから、命と巡る季節の無常さを感じます。
そんな大切な命を和歌山県は守りたいと思っています。災害からの安心と安全、命を大切に思って推進する県政でありたいと考えています。今年の収穫に感謝しながら、皆さんと命をいただけることに感謝したいと思います。
収穫祭にお招きいただいたこと、素晴らしい学びをいただいたことなど、今日の収穫感謝祭に参加できたことを嬉しく思います。ありがとうございます。
以上の主旨の挨拶をさせていただき収穫感謝祭を終えました。
知り合いの中に特殊な能力を持つ人がいます。この世を去った人を呼び出して会話することができる人です。このことを仕事にしていないので知られていないのですが、僕は以前からこの不思議な能力を目の当たりに見てきました。昨夜、「そうだ、母とやり残した会話があるのでTさんに連絡してみよう」と思いました。そこで電話をしてTさん宅を訪問しました。事前にTさんに連絡していたことで、僕が到着する前に母を呼び出してくれていたのです。「もうすぐ息子さんが来ますよ」とTさんが母に呼びかけてくれていました。
Tさん宅に到着したので、早速、母との会話を行いました。「お母さんはここに来ていますよ」と言って話をしてくれました。
母が僕に語ってくれたことは、僕が心から安心できるようなとても嬉しい内容のものでした。母の言葉が僕の心を蘇らせてくれました。
会話を終えた後、身体がホンワカと温かくなってきました。母の死去以来、固まっていた気持ちが溶けていく感覚がありました。温かいことは良いことだと思います。母との会話は後日、紹介したいと思います。そう思いたいと思っていた母の言葉を聞いて、心が蘇っていくことが分かりました。
亡くなった母と会話することができる。それは素晴らしい体験だと思います。