活動報告・レポート
2018年7月1日(日)
陸奥宗光伯の情報
陸奥宗光伯の情報

陸奥宗光伯に関しての情報をいただきました。陸奥宗光伯は外務大臣に就任する前、故郷に戻り鋭気を養っていたそうです。癒しの地であり蘇りの地である熊野に入り休養をした後に東京に戻り、その後の大事業へと向かっていくことになるのです。この時、周囲の人も後の大事業を成し遂げることになるとは思ってもいませんでしたし、当の本人も歴史的大事業を手掛けることになるとは思っていなかったように思います。そんな大事業の陰には故郷の光景があったのです。

明治25年4月に田辺市、白浜町に陸奥伯が滞在された折に宿泊された柏木家に御礼として銀製の果物器(くだものうつわ)や、「外務大臣 陸奥宗光」と書かれた当時でもめずらしい名刺があるようです。

さて農商務大臣を辞職した陸奥伯は、紀南地域の皆さんから和歌山県で初の大臣の姿を見たいとの要望に応えて、和歌山市、田辺市、そして白浜町に入ります。田辺市駅前で歓迎パレードを終えたのちに、地元衆の案内について猪狩りに大辺路富田坂に入ります。うさぎ一匹しか取れなかったそうですが、白浜温泉につかって心身の疲れを癒され、最後に闘鶏神社にもう一度陸奥宗光伯に会いたいと集まった300名の地元の皆さんのエールをいただいて、東京にお帰りになりました。大いにリフレッシュされた陸奥宗光伯は、後に第二次伊藤博文内閣の外務大臣に招聘され、明治政府の最重要課題であった不平等条約を次々に改正してわが国を守ってくれました。

まさに、わが県の世界遺産熊野古道によって疲れを癒し、心身をリフレッシュして大役を成し得た前例を作られていたわけです。

このように熊野古道の富田坂には、陸奥伯が休憩に立ち寄ったお茶屋跡を記した案内板などもあることから、125年前に陸奥宗光伯が歩いた和歌山市、田辺市、白浜町、そして熊野古道を新たな観光ルートとして、『偉人の歩いた道』ができるように思います。

例を挙げると、坂本龍馬が脱藩する際に歩いた道が、「維新の道・坂本龍馬脱藩の道」として高知県の観光名所になっており、その道は昭和61年に建設省から「日本の道100選」に選ばれています。郷土の偉人を讃えることによって、観光につながる施策の一つに活用することも方法です。観光と郷土教育、そして生涯学習の一環としても意義はあると思います。

また外務省外交史料館の「明治の日本外交」展が和歌山開催の折には、陸奥伯が足を運ばれた地域ならではの品などをお借りして展示すれば、和歌山独特の展示会になると思いますから、是非とも検討したい項目になります。

交流会企画

8月に開催する予定の交流会の企画を主催者2人と20歳代の方と3人で検討しました。今回は県政に関する質問の時間を確保し、参加者から質問をしてもらい僕が回答することにしました。「片桐章浩に何でも聞こう」と題して、会場内で質疑を交わすことを予定に組み込むことにしました。参加案内は会場の規模から60人に限定し20歳代の人にも呼びかけることにしました。

早速、「政治に興味がある20歳代の人がいます。片桐さんと会いたがっていたので彼に案内します」、「20歳代の友人に声を掛けて10人は集めます」という話に展開し、開催日時も決定しました。

また協議をしている時に出会った中の一人が「あれっ、片桐さんではないですか」と声を掛けてきてくれました。「あっ、ご無沙汰しています」と挨拶を交わし、そこから一緒に話をすることになりました。ご縁とは不思議なもので、前向きな話をしている時は、それに対応するような出会いが訪れることがあります。8月の企画を楽しみにしています。