活動報告・レポート
2018年5月4日(祝・金)
加納町

神戸市役所のある住所は加納町です。この加納町は和歌山市出身の加納宗七氏に由来していることは周知のことです。

加納宗七氏は紀州出身です。加納氏は江戸末期、倒幕運動に参加するために陸奥宗光を頼ります。坂本龍馬暗殺後は「いろは丸事件」での当時者である同藩の三浦休太郎を疑って陸奥宗光らと襲撃しました。それが天満屋事件です。

事件後は神戸に住み材木商を営んでいましたが1871年(明治4年)に神戸居留地に住む外国人からの要請で、明治政府が計画した氾濫を繰り返す生田川の付け替え工事を請け負って3か月で工事を完了させました。当時の生田川は現在のフラワーロードになっていますし神戸市役所もフラワーロード沿いに建っています。この功績からこの辺りは加納町として名前が残されています。

神戸市役所展望台に上りました。そうすると明治時代の神戸市の絵があり、それを見ると現在のフラワーロードは生田川だったことが分かります。街はただそこに存在しているのではなく、人が住みやすいように、活動しやすいように当時の為政者によって街づくりが考えられて街を変化させているのです。

変化がなければ街は変わらない。そんなことを思いました。神戸市役所から眺望を眺めると現在の神戸市の姿が見えました。神戸市の夜景を「1000万ドルの夜景」と記されていましたが、かつては「100万ドルの夜景」だったと思います。夜景の価値も変化していることに驚きました。

「100万ドルの夜景」の由来は、昭和20年代に六甲山の山頂から神戸を見下ろしたときに見える神戸の電灯の電気代が米ドルに換算すると約100万ドルだったことから、100万ドルの夜景と呼ぶようになったとされています。当時の六甲山から見える神戸の電灯の数は約496万個。その1ヶ月の電気代を当時のレートでドルに換算するとおよそ100万ドルになったということです。

時代が今日に至っての平成17年。六甲摩耶鉄道株式会社が「現在の六甲ガーデンランス」から見える28市町村の350万世帯の一般家庭の電気代を1日あたり220円と想定して1ドル110円で換算すると約700万ドルと計算しました。そこに電力会社が試算したオフィスなど約300万ドルの電気代を加算すると1000万ドルを超えたため、現在は1000万ドルの夜景と呼ぶようになったということです。

昭和の世代からすると神戸市は「100万ドルの夜景」の印象が強いのですが、現在は夜景の価値が高まっているようです。いずれにしてもたくさんの人の流れがあり、買い物や飲食を楽しむ人が絶えないことで活気が感じられました。

神戸市加納町

神戸市と和歌山市を単純に比較することはできませんが、加納宗七氏がつくった神戸市加納町とのご縁を思うと親しみを感じます。もしかしたら加納宗七氏という人材が紀州で天満屋事件以降も住んでいたら、神戸市と和歌山市の街の姿は違ったものになっていたかも知れません。そう思うと人の配剤は天の配剤であるように感じます。誰が関わるかによって街の姿、将来の発展の形が違ったものになるのです。

現在の街づくりにも通じることなので、人と街づくりについて考える契機となりました。現在の街づくりを考えるきっかけを与えてくれた、紀州出身の加納宗七氏に感謝したくなります。