活動報告・レポート
2018年4月30日(祝・月)
タケノコ堀
タケノコ堀
タケノコ堀

タケノコ堀のイベントを企画、朝からタケノコ堀、お昼はピクニック気分で屋外でお弁当、そして午後からもタケノコ堀を行いました。参加してくれた皆さんに感謝いたします。

タケノコは和歌山市南畑の竹林を会場としました。日常的に管理されている竹林なので、良いタケノコを掘り当てることができました。竹林というと竹が生い茂って暗いイメージがありましたが、均等に竹が並び日差しも良かったので所有者に尋ねてみると「日常的に管理をしています。竹を間引いたり雑草を除去したり、生えてくる竹をカットしたりしながら維持管理しています」という回答でした。無造作になっている竹林からは良いタケノコを見つけることはできないそうです。

さてタケノコ堀体験は初めてだったので、タケノコを見つけることが難しく、また土の中からタケノコを掘り出すことの大変さを実感しました。ひとつのタケノコを掘り出すことがこんなに大変だとは思いませんでした。参加した皆さんが全員で掘り出したタケノコよりも、当たり前ですが専門家が半日で掘り出すタケノコの数は多いのです。

専門家は半日で300kgは掘り出すと教えてもらいました。ひとつが1kgだとすれば300本も掘り出すことになりますから大変な量です。それでも市場価格は芳しくなく、初出荷の時は高値で取引してくれるようですが、それ以降の価格は下がるので商売としては「厳しい」状況だと聞きました。

タケノコ堀

今日の体験からすると、これだけの労力を費やしながら、今日聞いたような価格で取引されると割に合わないと思いました。

そのことを話すと「その通りです。タケノコで生活をするのは厳しいので、野菜や果物の生産も行っています。また今年は4月20日でタケノコの出荷取引は終えているので、今はタケノコを瓶詰めに加工しているところです」と答えてくれました。

そこで「和歌山の山東のタケノコは山科と並んでブランドなので品質の良い商品として市場は評価してくれるのではないですか」と尋ねたところ、「そうでもありません。僕たちは山東のタケノコは最高品質で味も違うことを知っていますが、消費者にとってタケノコはタケノコなのです。ブランドのタケノコを積極的に食べたいと思う人は少数派なのでブラント化を図りたいと思っても価格がついて行かないのです」という答えでした。

タケノコはタケノコと評価されてしまうとブランドとしての実力をまとうことはできません。味や品質が良いものであっても食材として単品で勝負できないのが弱点です。

しかしタケノコ堀の仕事の厳しさの一端を知ったことから、「タケノコで生産者として生活できるようにしなければ後継者がいなくなる」と思い尋ねたところ「このままでは後継者はいなくなると思います」ということでした。

タケノコ堀

当たり前のように食べているタケノコですが生産者がいなくなると食べることはできなくなります。タケノコの生産で生活できる経済力を保てるような取引にしないことには、将来性は見込めません。

「春の季節は朝5時から山に入り午後2時ごろまで継続してタケノコを掘ります。とれたタケノコは大きさや品質で仕分けを行い、また形を整えて土を取り除くなどして出荷しますから一日仕事になります。収穫しない時でも竹林は維持管理をしていますから、その労力は大変なものです。これだけやって収入が今のままでは、やりがいに欠けることになります。これからやろうと思っている人でもやる気をなくしてしまいます」という話を聞かせてもらいました。

山東のタケノコのブランド化を図るための取り組みは、和歌山県としてやるべきことだと感じました。タケノコ堀で感じたことがありますから、県政に反映できるようにしたいと考えました。

向陽高校同窓会

現在、平成31年に向陽高校同窓会の卒業生名簿を作成するための作業を進めています。そのための案内ハガキを郵送しいるところですが、卒業生の方々から嬉しい意見をいただいています。

「卒業生の現在を知るために欲しいと思います」、「母校からの便りは懐かしいので嬉しく思いました」、「会長を引き受けてくれたのですね。私たちのために大変な役割を受けてくれて感謝しています」など、嬉しい意見を頂戴しています。

群馬県の卒業生からも「卒業名簿の作成作業は大変でしょう。頑張って下さいね」と意見をいただき、今日、群馬県から和歌山市に来てくれたのでお会いすることができました。

向陽高校卒業生名簿

この方は昭和50年度の卒業生名簿を群馬県から持ってきてくれました。「こんな名簿があります。片桐さんを調べたのですが古い名簿なので名前が記載されていませんでした。でも本棚にあるものなので持ってきました。新しい名簿作成の参考になるなら持って行って下さい」と親切に話してくれました。

恐らく第一回目に発刊した卒業名簿だと思います。これ以降、名簿作成をしているので記念すべき第一回目のものです。僕も見たことがありませんし、役員の皆さんも持っていないと思います。貴重な名簿をお預かりしたので母校に持っていく予定ですが、編集後記に発刊の苦労話が書かれていました。作業に携わる人の苦労はたくさんありますが、それは関わった人でなければわからないものだと思います。作業をする人は「みんなの役に立つものにしよう」と思って作成に着手するのですが、同窓会に関わっていない人はその大変さを知ることはないと思います。卒業生名簿作成のために、当時も卒業生にハガキを送り一人ずつ名簿を作成していったようです。ゼロから作成する作業は大変なご苦労があったものと推察しています。この基礎があるから、今回も名簿作成作業をすることが可能になっています。これを途切れさせてしまうと二度と発刊ができなくなってしまいます。継続しているものが伝統だと思いますが、伝統を守ることは難しく破壊するのは簡単なのです。最低限のこととして、僕たちの世代の役割はこの大切な伝統をつないでいくことを考えています。

こんなに励ましや応援のメッセージを伝えていただいているのですから。そして群馬県から故郷に帰ってきて「私たちのために会長を引き受けてくれてありがとう。大変ですが頑張って下さい」とエールを贈ってくれる先輩もいるのですから。こんな出会いがあるから困難な作業も続けられるのです。本当にありがとうございます。