過去の県政の事例を基にしたケーススタディの話を伺いました。実例に基づいての動きを学ぶことができたので、所謂、生きた学問だと思います。トップの判断と、部下からトップにあげる情報の操作によって県政の将来の姿が変わっていくことを学びました。和歌山県の将来計画を描く場合、企画力は勿論のこと、人間関係とリーダーの資質によって結果は大きく変わることを知って動くことが大切だと感じています。
もしかしたら現実になっていたことが、トップの判断によって現実になっていないことがあります。現実になっていないことから、「その計画がもし実現していたら」はないのですが、「もし」があるとすれば平成30年における和歌山県の姿は現在と違っていると思います。時のリーダーと、リーダーを支える幹部の資質により県政は変わることを教訓に、のちの県の利益を考えた議論と判断が必要だと感じています。
「国家は別ですが、地方自治体はトップの資質によって大きく方向性は変わることを知っておいてください。トップを誰が担うかで地方自治体の将来は変わるのです。思っている以上にトップの資質は大事なのです」と話してくれました。
確かに存在していないことを評価することできませんから、過去のリーダーの失政は論じることはできません。もし違う現実が存在していれば、今よりもずっと良い和歌山県になっていたと後世の人から思われないように、過去を教訓として県政に取り組みたいと考えます。
東京都文京区本郷にある六義園は和歌の浦をモデルにして作られた庭園です。僕もここを訪れたことがありますが、庭園の中に和歌の浦の光景があり、当時の紀州藩の存在感が如何に大きかったかを知ることになりました。
和歌の浦が日本遺産に認定されて以降、六義園を訪れた人が「六義園を訪ねたところ、和歌の浦の姿を感じることができました。しかし和歌の浦が日本遺産に認定されたことを知らせるパンフレットなどがなかったので、都民が和歌の浦が日本遺産になっていることを知らないように感じました。都民以外にも各府県から六義園に観光に来た人が『日本遺産の和歌の浦』であることを知らずに終えてしまうように思います」と意見をいただきました。
日本遺産和歌の浦を知らせることは、和歌の浦に観光客を呼び込むための広報活動になります。まして和歌の浦をモデルにしている六義園で日本遺産和歌の浦を広報できていないとすれば、早急に対応する必要があります。六義園に来たお客さんを本物の和歌の浦観光に誘うことが和歌山県観光の取り組みです。
「日本遺産の和歌の浦に行ってみたい」と思わせるように和歌山県観光の取り組みに仕向けたいと思います。
また名古屋城天守閣が改築される予定で、完成予定が平成34年だと聞きました。天守閣を木造にするようですが、その他にも御殿を作り、御殿内に「和歌の浦の間」が作られると聞きました。「和歌の浦の間」は次之間と呼ばれる部屋の絵画として再現される予定だそうです。
何故、「和歌の浦の間」があるかというと、紀州浅野家から尾張に嫁がれた「春姫」に由来するそうです。紀州浅野家から尾張に嫁いだ春姫が故郷をいつでも思い出せるように、春姫がいた「次之間」に和歌の浦の風景を描いたそうです。
御殿内に「次之間」も再現させるようなので、名古屋城の修復作業は和歌山県の観光にとってもチャンスとなります。名古屋城の修復と御殿の再現は話題になりますから、そこに再現される和歌の浦の風景は日本遺産和歌の浦であることをPRすることも和歌山県の観光の取り組みとして考えるべきことだと思います。
- 和歌山文化協会茶道部の会合に出席しました。和歌山県の文化の一端を茶道を通じてお役に立つことを目指していますが、5月以降の活動について協議を行いました。5月から12月までの活動予定と役割分担を決めて実行していくことにしています。
- 徳島県人会から「紀淡海峡ルートと四国新幹線考えるシンポジウム」の案内をいただきました。熱心な取り組みに応えたいと考えています。