平成26年に世界遺産に登録されたのが「富岡製糸場と絹産業遺産群」です。世界遺産を活用した地域振興と観光振興について調査を行うため、群馬県庁と富岡製糸場を訪れました。この世界遺産のことは知っていましたが、実際に訪れて話を伺うと絹産業がわが国を支えてきた産業であり、当時の国富を生み出してくれていたことが分かりました。
富岡製糸場は明治5年に創られ、昭和62年に廃止するまで、わが国の絹産業を支えてきた工場であり、それが輸出品としてわが国の経済を支えていたのです。この工場があったことでわが国の絹産業は生産量も品質も世界一となりました。当時、イタリアと中国と日本の国が世界の市場を形成していましたが、そこから日本が抜け出して世界一の生産国となっていました。
群馬県に絹産業が誕生したのは、地形が水田に適していないことから桑畑を耕作し、養蚕に適した環境が整ったからです。そして1930年代には世界の80パーセントの絹を日本が生産していた歴史がありますから、如何に養蚕が国富を生み出していたかを知ることができます。
富岡製糸場の存在は地元では圧倒的でしたが、歴史に埋もれ群馬県以外の府県での存在は薄くなっていました。それが平成26年に世界遺産に認定されてから、わが国の歴史であり財産にもなり、それまで以上に観光客が訪れるようになり、地元にとって大きな自信と誇りになったようです。富岡市の人と話をすると「世界遺産になってから観光客が大幅に増えてくれて地元にとって嬉しいことです」と話してくれました。
このように世界遺産は地元の誇りとなり観光資源となります。同じく和歌山県の世界遺産である熊野古道も地元以外では知られていない存在でしたが、世界遺産に登録されて以降、地元の誇りとなり観光客も大幅に増加して地域振興につながっています。世界遺産は観光資源としては別格で、地域の宝物的存在になります。
富岡製糸場が世界遺産に登録されたのは、単に歴史的建造物であったからではなくて、絹産業を発展させ、現代につながる技術と品種改良を行ってきたことが評価されたからです。養蚕は絹の製造だけではなく、蚕の品種改良と繭を絹に仕上げていく過程の改良などの技術が評価されたのです。古いから指定されるものではなく、歴史の中に秘められた物語こそが世界遺産の価値なのです。世界遺産には歴史的なドラマがあり、そこに関わってきた人の働きがあるのです。
蚕は蛾の一種ですが、改良を重ねた結果、人が育てないと生息できないような家畜的存在になっていることを知りました。量をたくさん産みだす蚕や品質の良い絹になるような蚕を交配させるなどして、今では品質も量も市場が求める絹を生産できるようになっています。また富岡製糸場で働いていた女性は、当時のトップクラスの全国から選ばれた人たちで、ここで技術を身に着けてから地元に帰り、養蚕産業の振興につなげたそうです。女工は兵士よりも大事にされたようです。戦争という負の歴史ですが、経済力がなければ到底戦争はできないので、養蚕産業によって外貨を稼ぐことで経済力を持ち、わが国は列強と戦えることができたのです。
世界遺産の価値は地元振興と観光振興につなげること以外に、自信と誇りを持てること。そしてそこに伝わる歴史が後世に伝えていく物語として価値があることを認定されることになると思います。この歴史的価値を現代に生かすよう私達が考えることが、世界遺産から新しい価値を生み出すことになります。「新しい価値を生み出すための取り組みをしよう」と地元の人が思い立ち上がらせる力を生み出すことが世界遺産の価値なのです。
富岡製糸場を訪れて、その価値こそが宝物であることが認識できました。群馬県庁の担当職員さんも和歌山県の世界遺産を訪れてくれたことがあると聞きました。このように人との交流機会につながることも世界遺産の価値だと思います。人も物も交流することで情報の道ができます。昔も現代社会も情報を得ることが地域にとって武器になりますから、世界遺産が結ぶ交流も大切にしたいと考えています。