会派の視察で群馬県の群馬大学次世代モビリティ社会実装研究センターの小木津副センター長を訪ねました。目的は自動運転技術の調査を行うためです。小木津先生は自動運転技術の先駆け的存在で、2004年から自動運転の研究を開始し、既に2005年には自動運転技術で車を走らせています。現在、ウーバーやグーグルが自動運転技術を競っていますが、もう10年以上前に自動運転技術はできているのです。小木津先生によると、「技術的にはそれほど難しいものではない」ということです。
限定した道路での自動運転であれば完成形に近づいているのですが、全国どこでも自動運転する技術に発展させることはまだまだ困難な状況だということです。
グーグルや自動車メーカーは、どこでも自動運転で走れる車の開発を進めていますが、ここでは地域限定の自動運転自動車の商用化を目指しています。メーカーとの違いはその点にあります。
すべての都道府県の道路を自動運転で走行させる技術開発は、「最新技術をもってしても極めて困難」だということです。道路状況や時間帯や季節による交通量の違いがありますから簡単ではないことが分かります。コンピューターによる周辺状況の認識は、人工的な建造物で構成されている街中であれば比較的容易だそうですが、自然環境豊かな場所では難しいそうです。四季による環境の違いをコンピューターが認識することは容易ではなく、夏の緑と秋の紅葉、冬の積雪などの風景を同じ場所だと認識させることが難しいと聞きました。
そのため群馬大学で行っている自動運転の実験は、街中が適していて、自然豊かな場所は適していないということです。
このような条件を検討した結果、小木津先生は「地域限定にすることで技術的、社会的な敷居が低くなる」と考え群馬大学周辺の地域で自動運転の実証実験を行っているのです。
この自動運転技術はある程度計算できるのですが、問題は街のあり方にあります。道路形態の整備と統一化は勿論のこと、住んでいる人に「この地域は自動運転に適した地域にするため交通ルールは絶対に守る」という意識付けをすることが大事な要素になります。
自動運転が危険なのではなくて、人が運転して事故を起こす可能性のある状況に遭遇すれば、自動運転車も事故を起こすということです。人が道路に突然飛び込んでくることや、信号無視で車の走行している道路に飛び出してくる状況は誰が運転していても避けることが難しいので、人の意識付けを強くすることが自動運転の車を普及させるためには必要なことです。
ところで小木津先生の意識は、既に自動運転の先を見据えています。自動運転技術はある程度できているので、人が運転から解放された後の車の役割と社会のあり方を考えているのです。「車を超えて行こう」を群馬大学の研究の価値としているのです。それは運転を移動の手段として考えるのではなく、自由な移動空間と自由な生活空間を生かすことや、渋滞の緩和につながること、そして安全な街づくりにつながることです。ドライバーは運転する時間を他の要件に使うことができるので、生産性が高まることや趣味や娯楽を楽しむ時間に充てることが可能となります。
また自動運転だと車間距離を一定に保つことができますから、渋滞緩和に資することになります。そして自動運転の車が走行すると、走行と同時に街中の見守り機能を果たしてくれますし、車による監視の目が増えるので街の安心と安全につながります。
このように自動運転は単に人を運転から解放するだけではなく、社会を変える可能性を秘めているのです。そう携帯電話が通話の手段から通信の手段へと使い方の発展を遂げたように、自動運転による空いた時間をどう使うかは巨大なビジネスの可能性を秘めたものになります。自宅から目的地までの移動時間を自由に使えることになりますから、どんなビジネスモデルが誕生するか、現段階ではその可能性は予想すらできません。
インターネットの空間が拡大し続けているように、自動運転が実現した後の可能性も広がっていくことになると予想できます。
群馬大学を訪問して感じたことは、自動運転が遠い未来のものではなくて、近い未来のものであることです。現実を知ることがいかに大事であるか、そして専門家が研究している現実は、私達が思っている以上に進んでいることが分かりました。
自動運転技術について説明してくれた小木津先生に深く感謝しています。