活動報告・レポート
2018年3月19日(月)
宮小学校卒業式

和歌山市立宮小学校の卒業式に出席しました。今春の卒業式出席は向陽高校、日進中学校に続いて三度目となります。卒業式の場にいると、どうしても自分の卒業式の時のことを思い出してしまいます。

僕が小学校を卒業したのは随分前のことですが和歌山市立宮前小学校です。6年3組で、とても仲の良いクラスでした。担任は尾崎先生という女性の先生で、授業は厳しくて、そして優しい先生でした。厳しくて優しいという表現がピッタリの先生だと記憶しています。6年生のクラスが発表された時「尾崎先生は厳しい」という評判がありましたが、仲間意識を強く意識させてくれました。僕は2学期と3学期の学級委員になったこともあり、厳しく指導してもらいました。

当時、木造の校舎を取り壊し鉄筋コンクリートの校舎に建替えが始まる時期で、5年生の時はプレハブの校舎だったのですが、6年生になると新しく完成した鉄筋の校舎に入ることができたことの嬉しさを覚えています。新しい校舎は快適で、しかも最初に入った学年ですから新鮮で楽しかったことも覚えています。あの時、先生が「この新しい校舎で君達が初めて学ぶ生徒になる。これからこの校舎を何十年も、そしてたくさんの生徒が使うことになりますが、君達が最初の生徒なのですよ。大切に使いましょう」と話してくれたことも思い出しました。

宮前小学校にはこの校舎はまだありますが、その後、木造の校舎が次々に建替えられたので、今では一番古い校舎になっています。当時の最新の校舎が一番古い校舎になっている姿を見ると、「この校舎は随分頑張ってくれたんだなぁ」と思います。そう45年間も子ども達の勉強を見守り卒業させてくれたのですから。

最新の校舎が古い校舎になっていることは嬉しくもあり、寂しくもあります。いつまでも存続して欲しいと思いますが、老朽化と耐震化の必要性などから、やがて姿を消すことになるからです。小学校、そして校舎に思い出が残っています。それがなくなることは思い出も消されるような気持になります。

このように多くの生徒が卒業し、また迎える繰り返す光景が小学校にはあります。多くの生徒を見守ってくれている小学校です。初めて卒業の日の寂しさを感じたのも小学校6年生の時でした。繰り返しになりますが、6年3組の生徒はとても仲が良くて、ずっとこのクラスのまま一緒に進級したいと思っていた程でした。クラスの仲間と離れることになるとは思ってもいなかったので、卒業式の思い出は寂しさを感じたことがあります。

たくさんの時は流れて、あれから45年も経過しています。時々、そんな仲間に会うことがありますが、当たり前ですがみんな大人になって、それぞれの分野で活躍していることを嬉しく思います。不思議に思いますが、あの時の小学生が社会の中核で活躍しているのです。それは指導してくれた先生がいて、たくさんの思い出があるからです。先生の教えは基礎を作ってくれていますし、思い出は今の自分を励ましてくれる存在だからです。

本日、小学校を卒業する生徒の皆さんも、今はまだ将来の姿は想像も出来ないと思いますが、大人になった社会で活動するようになった時、小学校時代を懐かしく思い出すこともあると思います。それは先生の顔であり、仲間の顔であり、友達と遊んだ校舎や校庭であると思います。そんな今は当たり前の光景が大切な存在になって行くのです。

だから当たり前のように繰り返す日常の生活と出来事を、大切にして欲しいのです。大切にしているものが宝物になることを、かつて小学生の大人になった僕は知っているから伝えたいのです。

当たり前に訪れてくれる毎日が人生にとっての宝物なのです。だから私達は毎日、宝物を受け取っていて卒業式の時にそのことに気付くのです。だから卒業式ではたくさんの宝物を受け取ることになります。

卒業生の皆さん、卒業おめでとうございます。