宮地区連合自治会による防災避難訓練が開催されました。午前9時30分に大規模な地震が発生したことを想定し自宅を出発、10時には宮小学校の体育館に避難するという訓練です。避難した体育館で、南海トラフの巨大地震と直下型地震の可能性と日頃から備えておくべきこと、阪神淡路大震災からの教訓などの話を聞かせてもらいました。
阪神淡路大震災は1995年に発生した地震で、既に22年が経過しています。話を聞き当時の映像を見ると、ボランティアで神戸に行った時のことを思い出しました。瓦礫に覆われた街、崩れそうな高層建築物、街に漂う埃と臭いなどが蘇ってきました。巨大地震の被害は映像で見るよりもずっと現場は厳しいもので、現場を訪れた感覚が原点になると思います。どうして生活をしていくのか、どうすれば復旧と復興が可能になるのか。そんな課題があれば、とんでもない壁が立ち塞がっていて脱出できないような気持になります。人はそこから立ちあがっていることが素晴らしいことだと思いますし、巨大地震からの復興の歴史を現実に見ているので、人間の力を信じることができます。
防災避難訓練に参加した私達がもし巨大地震に襲われた時は、逃げて生きることが使命です。生きなければ復旧や復興に参加することはできませんし、災害を体験した人は巨大地震から立ち直ることを見届けることが使命だと思うからです。
ですから自分の命は自分で守ることを意識したいと思います。防災避難訓練は、日常生活の中で行われますから、当然のことですが非常時とは心の状態が違います。非常時と同じような緊張感を持ちながら訓練に参加することは難しいことだと思います。でも訓練に参加することが非日常に向けた訓練になっているのです。人は初めてのことに適応することは難しいのですが、例え模擬体験であっても一度でも体験しておくことが、非常時に役に立つのです。
参加した皆さんは昨日、「明日は防災避難訓練に参加する日だな。早い目に就寝して備えておこう」などの思いがあったと思います。意識を災害と避難行動に向けることで、その後の行動に移すことになりますし情報が入ってくるようになります。これが訓練に参加することの効用なのです。
今はあまり使わなくなった言葉ですが、オリンピック大会などの場面で、以前は「参加することに意義がある」という言葉が使われていました。今は参加することだけではなく世界に勝負を挑むことに価値が移っているように思いますが、参加することだけで得られる価値はあると思います。参加した人だけ現場や本番の舞台で感じるものがあると思いますし、それがその後に影響を与えるのは必至だと思います。
防災避難訓練はそんな舞台ではありませんが、万が一の時に備えて意識と行動を呼び覚ます大切な機会だと思います。そんな機会にしなければ、参加することの意味はありません。今日、防災避難訓練に参加したことの意味を考えることだけでも、参加したことの意味があると思います。
企画と準備、運営をしてくれた自治会役員の皆さん、今日のお手伝いをしてくれた皆さん、訓練に参加した皆さんにとって、防災意識の向上と避難行動につながるものだと考えています。
巨大災害発生時は自分の命は自分で守るが基本です。連合自治会がそのための訓練機会を与えてくれていると思っています。
そして参加した自治会員同士は顔の見える関係を築いていることを再確認することができました。体育館で交わす「おはようこざいます」、「ご苦労様です」、「宮地区親睦芸能大会はお疲れ様でした」などの挨拶で、顔の見える関係であることを確認できるからです。
以上のように、今日の防災避難訓練を意味のあるものにしたいと考えています。