活動報告・レポート
2017年11月20日(月)
見学例会二日目
知覧特攻平和会館

見学例会は二日目を迎えました。昨日の川内原子力発電所に続いて、二日目は知覧の見学を行いました。

知覧は第二次世界大戦の沖縄決戦の時に若い飛行士である特攻隊が沖縄に向けて飛び立った場所です。当時、知覧から沖縄決戦に際して知覧から多くの若い特攻兵が飛び立ちました。10歳代から20歳代の若い人達が決して生きて帰ることのない特攻でした。

ここに朝日新聞の記者が撮影した特攻兵の写真がありました。記者は犬を抱いて笑っている特攻隊の若者達に向かって尋ねました。「君達はいつ飛び立つのですか?」。

知覧特攻平和会館

笑顔の若者達は「明日飛び立ちます」と答えました。記者は「明日、命が消えるというのに、どうしてみんなは笑顔でいられるのだろう」と思ったそうです。そしてその理由は、「写真の中の顔が悲しんでいたらお母さん、家族が悲しむことだ」と思ったそうです。だから写真の中の特攻隊員たちは笑顔でいたのです。

また知覧から飛び立った特攻兵の中に「これから世に出る若い人のために自らの命を捧げた」人もいたと聞きました。自分の死んだ後に生まれてくる若い人達が、平和なこの国を築いてくれると信じて特攻したという話を聞きました。

特攻兵が未来を託した若い人達とは現代を生きている私達のことです。若い命を国のために捧げ、特攻兵が託した未来を私達が生きています。明日を生きることが叶わなかった特攻兵。明日を生きたくても生きられなかった時代があったことを忘れてはいけないと思います。

知覧特攻平和会館

特攻兵がこの国に託した未来を生きている私達は、命を懸けて戦った人達から与えられている平和と命の大切さを意識する必要があります。この国において72年前から受け継いでいる大切な価値を守り続けたいと思います。

特攻隊にとって「明日がないさようなら」の言葉では明日は何もできませんが、「明日があるさようなら」を言うことは、やりたいことをやれる可能性がある言葉です。特攻兵は明日が見えなかったけれど強い精神力を持って笑顔でいました。もちろん、戦地に送り出してくれる人達の前では笑顔でいましたが、就寝時、布団を頭までかぶり「すすり泣いていた」ということです。まだ17歳から20歳代の少年兵ですから、死にたくないと思って当然です。心底から死にたいと思って飛び立った少年はいないと思います。誰もが生きたかったと思いますし、もっと生きてこの国のために尽くしたかったと思います。

知覧特攻平和会館

でも生きられないと分かった時から、「これから生まれてくる子ども達が自分の死んだ後の社会を築くことができるように」と思って特攻したと思います。そのことは知覧で見た残された手紙から受け取ったメッセージです。お母さんや子どもに向けた手紙に愛情が溢れていました。「生きたかった」という未練も心残りも手紙の中にありますが、お母さんや子ども達のためにも生きられないという事実と向かい合って、それなら後に残ることになるお母さんや子ども達が、この国でずっと平和で暮らせる社会になることを願っていたと思うのです。

特攻兵が創ってくれた未来を生きる私達には明日があります。この次の未来を生きる若い人達のためにも平和で、明日のある、そして笑顔の溢れる社会を築きたいものです。

知覧特攻平和会館

知覧を訪れたのは二度目ですが、「命」が与えてくれているこの世の素晴らしさを感じることができました。生きられることが幸せであり、何かが出来る可能性があるということです。その「何か」を自分で見つけて社会で実現を求められているその「何か」を実現するために日々を生きることが尊いのです。

今から72年前にあった特攻兵の事実。今は歴史になっていますから、歴史を学び何があったかを知り今に生かすことが大事だと思います。72年前のことを経験していない私達が、特攻兵の事実を知ることができることを大事にしたいと思います。歴史から学び今に生かすことが未来を創ることだからです。

だから何も行動を起こすことができなかった今日を生きるのではなく、明日を築くための土台を創る今日にしたいと思います。平和な国や世界も、愛情あふれる社会も、一日で実現することはできません。人生を通して実現するためにそれぞれが担っている役割を果たしたいと思います。

知覧を訪れて得る価値観があります。訪れないと分からない命の価値だと思います。日本に、若い人たちが平和を護るために命を乗せて飛び立った知覧が存在していることを誇りに思います。

そしてみんなで学ぶために知覧見学例会を企画して実行した和歌山ゴールドライオンズクラブも素晴らしいと思います。

知覧見学例会 知覧見学例会