活動報告・レポート
2017年9月24日(日)
シャンソンライブ
シャンソンライブ
シャンソンライブ

「シャンソンライブinピノテラス」を楽しみました。秋はシャンソンが似合う季節ですし、これまでご縁をいただいている出演者のライブでもあり、秋の一日、音楽をたっぷり楽しみました。

出演者の一人、みかんさんは元気のある歌声を聴かせてくれます。どんなジャンルの曲でも元気に歌ってくれるので、聴く人は元気をもらえると思います。シャンソンは出会いと別れなど悲しい歌が多いように思いますが、そんなことはありません。みかんさんが歌うと、そんな歌でも明日に立ち向かう元気な歌に変化します。

EKKの一人、上野山さんはしっとりとシャンソンを歌い上げてくれます。パリの街にいるような雰囲気に会場を包んでくれます。パリの街かどで歌を聴いているように思わせてくれます。

シャンソンライブ

miyaさんは体調を崩してリハビリをしている最中での出演です。今年1月から体調を崩しているので出演は難しいと思っていたのですが、今日に向けて急ピッチで体調を整えていたようです。しかし本番から離れていることとレッスンの時間が少なかったこともあり心配しながら応援していました。

ところがしっかりと人生を歌い上げてくれました。苦しい日々を思い出しての感情が溢れているようで、和歌山弁の「ラストダンスは私に」も楽しかったですし、「我が麗しき恋物語」は内心が表に出ていました。苦しい時を乗り越えて今日ここに立っている。ここに至るまでの苦しさや辛さ、そして喜びが表現されていたように感じました。

これまでも楽しい歌、悲しい歌をオリジナルな表現で歌い「どんなことも人生である」ことを伝えてくれていますが、この曲でも「どんなことも人生の一部分」であることを歌ってくれていました。

シャンソンライブ

苦しいことでも人生の中の一部分、辛いことも人生の中の一部分ですから、長く続くことはないこと。困難を乗り越えるために必要な苦しい時間もあることを表現しているように思いました。

やはりシャンソンは人生だと思います。シンガーは人生の歌を歌い、聴く人に元気を与えるのがシャンソンです。今日の曲目を列記するだけでも人生を感じさせてくれます。

「青春の旅立ち」、「時は過ぎて行く」、「永遠の絆」など、タイトルだけでも人生の応援歌のようです。

夏から秋に向かう季節は何となく寂しさを感じますが、シャンソンは元気を与えてくれます。秋にシャンソンが似合うのは、夏以外の季節も人生に訪れる季節だから楽しむことを伝えてくれるからだと思いました。

出演者の皆さんのシャンソンの歌声のお蔭で、夏の残骸を少し残しているようなまだ蒸し暑い秋の一日を楽しむことができました。

お悔みと感謝

昨日、お亡くなりになった方がいます。連絡をいただきお悔みに行ってきました。三カ月の闘病生活の末、お亡くなりになったのですが、入院、手術をしてくれた病院のベッドで「片桐さんには本当にお世話になりました。やってくれたことに感謝しています」と生前、話してくれていたことを聞かせてもらいました。

この話はご遺族の方から聞かせてもらいました。子どもからは「父は片桐さんに本当に感謝していました。私の無理を聞いてくれ、こんなにまでしてくれたことに感謝するばかりです。父も入院した後の治療に後悔はないと話していました。それもこれも片桐さんのお蔭です」と話してくれました。

また母親からも「片桐さんには感謝するばかりです。こんなにしてくれてありがとうございます」と伝えてくれました。また伯母さんからも「兄は最後まで片桐さんに感謝していると言っていました。苦しい闘病生活でしたが、片桐さんのお蔭で最後まで戦い抜けたと思います」と言葉をいただきました。

お亡くなりになったことは悲しいことですが、こんなに感謝の言葉をいただけることは嬉しいことだと思いました。

最後に「立ち直れるかどうか分かりませんが、片桐さんの励ましが支えになっています」と伝えてくれました。心からお悔やみ申し上げます。

クローバーの会
クローバーの会

毎月開催しているクローバーの会に参加しました。この会は経営者が集まる異業種交流会でお互いの仕事や取り組んでいることを話し合っています。僕も県政に関して数回、話をさせていただいたことがあります。

さて今回のテーマは「陸奥宗光伯没後120年」で、「陸奥宗光外務大臣の功績を教育に活かす会」の臼井さんに講師をしてもらい学習を行いました。

和歌山県在住の大人であっても陸奥宗光伯の生涯や功績を知っている人が少ないのは、郷土の偉人教育が十分でなかったからだと思います。特に近世の歴史は学習する機会を逸していることがあるので、そんな教育環境によって陸奥宗光伯の功績を知っている人と知らない人の差になっているようです。

今回は陸奥宗光伯の生涯を振り返りました。主な項目は、坂本龍馬と共に新国家の実現を目指したこと。明治維新後、紀州藩を救った人であること。不平等条約の改正を成し遂げ近代日本の礎を作ったことなどに重点を置いた説明でした。

陸奥宗光伯の学習

続いて、陸奥宗光伯没後120年の今年に取り組んでいるイベントやシンポジウム、県内中学校が修学旅行で外務省を訪ねたことなどの紹介をしてくれました。

改めて気付いたことは、陸奥宗光伯は明治維新後の紀州藩、現在の和歌山県を救ったこと。不平等条約改正のその一歩としてメキシコとの条約改正を成し遂げたこと。それがイギリスとの不平等条約改正へとつなげたことで日本を護ったことです。明治時代に和歌山県を存続させ、列強から日本を護ったことです。和歌山県も日本も護った外務大臣が陸奥宗光伯だということです。

当時、列強の植民地拡大と支配が続き、特にアジアの多くの国はイギリスやフランスなどに植民地支配されていました。植民地になっていなかったのは日本とタイぐらいのものでした。日本が列強の植民地になることなく、逆に当時の覇権国であったイギリスとの間で締結させられていた不平等条約を改正させたのです。このことは当時の覇権国から日本が近代国家として認められたことであり、植民地支配の対象から外れたということに他なりません。そしてこの日本が列強に対して成し得たことが、後にアジア諸国の独立へと向かわせる原動力となるのです。

陸奥宗光伯の学習

この歴史的偉業が、平成の時代のこれまでに100人誕生している外務大臣の中で唯一外務省に銅像が建立されることにつながったのです。日本を護り歴史を創った外務大臣を忘れずにいて、その志を持ち続けることが、この国を護ることになるのです。列強に立ち向かった行動力と折衝能力、そして情報力がわが国を護ったのです。カミソリ大臣の異名は情報力と折衝能力、そして行動力を総合して名付けられたものだと思います。

今日の講義は陸奥宗光伯の歴史的な功績を知らせてくれるものでした。参加者からは「陸奥宗光のことは詳しく知りませんでした。和歌山県が誇る偉人であることを知りました」、「子ども達に伝えることが大切だと思いました」などの感想を聞くことができました。

知ることから全てのことは始まる。そんな学習会になりました。