活動報告・レポート
2017年9月16日(土)
京奈和自動車道

現実に存在していることは、誰かがその基礎を作っています。京奈和自動車道の構想が検討されていた頃の話を聞かせてもらって感じました。構想ができたのは今から約40年近く前のことだそうです。高速道路などが完成するまでに30年から40年かかると言われていますから、この道路が40年前の行政や議員が議論を重ねて計画を作ったことに感謝したくなります。

当時の関西は大阪府を中心にした環状道路と外環状道路が整備されつつあった頃で、その次に必要となる道路をどこに通すべきか議論されていたそうです。

現在の国土交通省、大阪府と共に和歌山県でも必要な道路網を考えていたところ、外環状道路の更に外側に大外環状道路を建設すれば道路網の利便性と事故時の安全性が確保されると位置付けたそうです。そこで計画として提案されたのが、現在開通している京奈和自動車道なのです。

京都府、奈良県、そして和歌山県を結ぶ道路として利用者は利便性を享受していることから、大阪府外の地域を結ぶ道路だと思いますが、実は大阪府の大外環状道路という位置付けだったのです。高速道路などは、国や府県を納得させるだけの構想力や説得力が必要となります。議論された昭和50年当時、京都府と奈良県、そして和歌山県を結ぶ高速道路の計画を提案しても、なかなか承認されにくかったのだと思います。

この時、この議論の中に和歌山県の政治家も関わっていたと聞きました。当時の政治家たちが和歌山県の道路事情を改善させるために知恵を絞り、国や大阪府を納得させるための理由を考えて提案したのだと思います。

その当時、この道路の議論に関わった政治家たちの名前を伺うと今はいない人たちですが、その人たちが将来の和歌山県発展について議論を行い行動した結果が今につながっているのです。

当時の関係者が少なくなっている今日、誰が今の道路の基礎を作ったのかは分かり難くなっていますが、誰かが関わってくれたことは確かです。誰も提案していない道路計画が国で承認される筈はないからです。構想から計画、予算化、工事を経て、今日、京奈和自動車道を利用することができています。

この道路を利用することで時間短縮、交通渋滞回避などの利益を享受しているのは私達です。過去の経過を知ることで先人たちの尽力に感謝したくなりました。いつも誰かが後世の人のために社会を創ってくれている。自分が生きている時代を創ることはとても大事なことですが、後世の人のために仕事をしている人も立派だと思います。

そして現代の社会を生きている私達は、次の時代に生きる人たちのことを考えることも大切です。今から計画に着手する高速道路などは、もしかしたら私達ではなく次の時代の人が利益を受けることになるかも知れません。でもそれが人間社会であり、社会を創っていくことだと思います。

例えば東京と大阪を結ぶリニア新幹線に私達は乗れないかもしれません。だからと言ってその計画は不必要だとはなりません。むしろ「早く計画を固めて事業に着手して欲しい」と思っています。それは少しでも早く開通させることで、次の時代の人が早く利益を受け取ることができるからです。

次回から京奈和自動車道を走行する時は、この道路に関わってくれた先人たちのことを思い、今よりももっと感謝することになりますし、この次の県土を創るのは「私達だ」と思うことになります。

社会のバトンをつなぐ。それが私達のやるべきことだと思います。