活動報告・レポート
2017年8月30日(水)
和歌山県内視察二日目
B29
龍神村B29慰霊碑

昭和20年5月5日。終戦の三か月前にアメリカの爆撃機B29が日本の戦闘機に追撃され龍神村に墜落しました。B29には11人のアメリカ兵が乗っていたのですが、7人は死亡、4人は生存していたのですが、3人は処刑、1人は消息不明となりました。当時、龍神村の人は亡くなったアメリカの兵士たちを埋葬した場所に慰霊の供養を行ったのです。

昭和22年12月に墜落した山中に慰霊碑が建立され、今日に至るまで毎年、慰霊祭が続けられています。この慰霊碑は水害や道路の拡幅などの影響で何度か移転を繰り返し、現在の場所に建立されました。平成27年の慰霊祭が73回目となっているように戦後ずっと慰霊祭は継続されています。

この事実を知ったアメリカ軍は数年前に米軍の楽団を龍神村に派遣し、慰霊碑の前で追悼演奏を行っています。龍神村で起きたB29墜落の歴史が、平成の時代にあって語り継がれているのです。当時の感覚では、敵兵を慰霊することは考えられないことだったそうです。敵兵であっても大切な命を大切に弔うことを龍神村の人達は分かっていたのです。現代では当たり前の価値観を当時の村人は持ち合わせていた。そのことに感動しますし、和歌山県の誇りだと思います。

龍神村B29墜落の話 龍神村B29墜落の話

現在も村人たちは慰霊碑を守り続けていますが、その代表者が古久保健さんです。古久保さんが小学校2年生の時にこの墜落事件が発生したのです。墜落したのは敵の戦闘機であり兵士は敵兵ですから、周囲に言われて死体に石を投げた経験もあるそうです。しかし人に石を投げつけたことに疑問を感じ、してはいけないことをしてしまった後悔の念から全ての人の命を大切にすることを学び、そして教師になって命の大切さを子ども達に教えることになるのです。同時に米兵の慰霊碑を維持し守る役割を果たすことが務めだと思い、この活動を続けていると話してくれました。

龍神村B29慰霊碑クロークさんのさくら

墜落して死亡した兵士の一人に、クロークさんという人がいました。慰霊碑の前には「クロークさんのさくら」の表示と共に桜が植えられています。クロークさんの妹であるエリザベス・クロークさんから浄財が送られてきたので、そのお金で桜の苗木をこの場所に植えたのです。

古久保さんはアメリカを訪ね、生前のエリザベス・クロークさんに会ってきています。この龍神村を舞台にした日本とアメリカの絆を語ってきたようです。戦後の事件が今日になって太平洋を越えた絆が誕生し、これからも語り継がれることになりました。この物語は戦争を体験していない次の世代が受け継がなくてはなりません。

龍神村B29慰霊碑

和歌山県には串本町を舞台としたエルトゥールル号の事件、龍神村を舞台としたB29慰霊碑の物語があります。和歌山県が誇る歴史は日本の歴史ですから、全国に向けて発信したい物語です。

慰霊碑の前に立ちご冥福をお祈りすると同時に、平和の尊さと先の大戦の時代よりも平和の世界になりつつあることを伝えました。今日の日に感謝しています。

奥ジャパン

熊野古道近露に奥ジャパンの事務所があります。京都市に本社がある旅行会社「奥ジャパン」の事務所が熊野古道にあることを嬉しく思います。奥ジャパンは外国人向けの旅行商品を販売している会社で、主にイギリスやアメリカ、オーストラリアの旅行客を日本に誘客しています。

奥ジャパン

ウォーク商品を得意としていて、日本各地のウォークコースを旅行商品として売り出しています。「奥ジャパン」の一番人気は中山道で、二番目が熊野古道だと聞きました。そして同社で事務所があるのは熊野古道だけとなっています。イギリス人の社長が熊野古道を訪れた時、その素晴らしさに感動し、イギリスに帰ってから旅行会社を設立し、日本の良さを知ってもらいたいと思い、社名を「奥ジャパン」とし、ウォークコースを開発、紹介することにしたのです。社名の奥とは「日本は奥地にこそ魅力がある」と言う意味だと教えてくれました。

熊野古道は和歌山県の奥に位置しているので、正に「奥ジャパン」を代表する観光地となります。「奥ジャパン」のお客さんで熊野古道を訪れている外国人旅行客は年間、約300組だそうです。

通常世界遺産に認定された直後から1年間はお客さんが増えるのですが、熊野古道は現在もお客さんが減らないどころか増え続けている「珍しい場所であり世界遺産です」と話してくれました。熊野古道の魅力が分かるコメントをいただきました。

奥ジャパン

外国人が熊野古道に魅力を感じるのは、日本の原風景とも言える自然があることと、人だそうです。熊野古道で出会う人はどこよりも観光客を親切におもてなしの心で迎えてくれているそうです。

ですから熊野古道の魅力は「ここにいる人」だということです。

何よりも嬉しく思ったのは、熊野古道を舞台として実施した南紀熊野体験博の精神が今も受け継がれていたことです。全国的に無名であり注目もされていなかった熊野古道を一躍有名にしたのがこの博覧会でした。

熊野古道の歴史的意義を定義づけ、観光地として優れていることを訴え、「癒し」という言葉を1999年の流行語にしました。この博覧会があったから当時、道として唯一の世界遺産であったスペインのサンティアゴの道と姉妹道提携を締結することができ、その後の世界遺産登録へとつながっていったのです。

そして博覧会から18年後の平成29年になっても、国内外の観光客が増え続けている観光地となっているのです。その理由は自然であり、歴史であり、人であることを聞かせてもらい、「この事業をやり遂げて今につながっている」と思いました。

「奥ジャパン」の視察も感動でした。

奥ジャパン