マグニチュード(M)3以上の地震の場合、約70パーセントの確率で地震予知ができることを聞かせてもらいました。この地震予知は一般社団法人地震予兆研究センターが実施しているもので、世界でただひとつ、7日以内に発生する地震情報を提供している研究機関なのです。本日は、同機関の関係者から話を聞くことができました。
地震規模がM6以上の地震の場合の的中率は94パーセントとなっています。この期間は2014年6月3日から2015年6月8日までのデータです。同じくM5からM5.9の地震の場合は83パーセント、M4からM4.9の場合は66パーセント、M3からM3.9の場合は67パーセントであり、平均すると69パーセントの確率で的中させているのです。
事前の予知が難しいとされている地震ですが、わが国では極めて高い的中率の実績を持った研究機関が存在しているのです。この事実には大変驚きました。
では2011年3月11日に発生した東日本大震災についてはどうだったのでしょうか。当然、同機関では地殻変動のデータを取っているので、2月28日頃から地殻変動に動きがあり、地震発生4日前の3月7日には明らかに異常な地殻変動の動きが出ていました。この時点で政府に知らせていたようですが、「100パーセント正確な予知とは言えない」という対応だったようです。それから4日後の3月11日に東日本大震災が発生して、甚大な被害があったことは、今さら言うまでもありません。
地震予知だけではなく科学的なものを除き多くの事象の確率を予測する場合、100パーセント予測できることはないと思います。70パーセントの確率で予知できるデータがあるにも関わらず生かしていないことが問題です。今後も南海トラフの巨大地震など高い確率で発生が予想されている地震がありますから、是非、地震発生が予想されている箇所においては、この機関のデータを活用して欲しいと思います。
既に多くの民間企業は同機関と提携し、解析データを受信していると聞かせてもらいました。解析データは同機関から提携企業などに対し、毎週月曜日に「地震予兆解析レポート」という形で配信されています。
では何故、こんなデータがあるにも関わらず政府で採用されていないか尋ねました。アメリカの事例を参考にして、「予兆を知らせた場合、それが外れた時に民間から政府に対する損害賠償責任が莫大な額にのぼるから」が原因の一つだそうです。ですから100パーセントの確率で的中しないことには採用されないようです。
現実的に地震予知が100パーセントで的中することは考えにくいので、最大で発生の一週間前に70パーセントの確率で予知できるデータがあるのですから、活用しないのは考えられないことです。少しでも早く情報を提供することが災害防止の役割を担っている公的機関の責任なので、是非、この予兆データの活用を図って欲しいと思います。
大きな設備や大切なデータを保有する企業は、既に同センターと提携し安全対策を講じています。大災害が発生した場合の被害や失われたデータは復旧できない場合があることなどから、地震被害が莫大な金額になることを知っているからです。一週間から前日までに地震の予知が配信されるなら、事前に設備保護やデータの避難などの対応をすることができるからです。災害が発生した後に対応するのと、事前に対応しておくのとでは被害の程度が違いますから、地方自治体や公共機関でも地震予知情報の提供を受け、人の命、大切な財産などの安全確保をして欲しいと考えます。
大きな災害は事前情報の差が発生前後の対応の差となります。
向陽高校3年F組の同窓会に参加しました。毎年夏に開催しているもので、今回も担任だった岡崎先生が出席してくれました。昨日は岡山県に用事があって宿泊し、そこから戻ってくれたため寝不足だったのですが参加してくれました。
「この会を楽しみにしているので必ず参加したいと思っています」と話してくれたように、私達のクラスに愛着を持ってくれていることを感じました。
開会に際して岡崎先生から、「この年になって思うことは、やりたいことはやれる時にやっておくことだと言うことです。後になって『やっておけば良かった』と思わないように、やれる時には時間を画するなど環境を整えてやることです。私は毎年外国に旅行に行っています。教員を退職してからこれまで25回以上は行っています。行ける時に行っておかないと、やがて行けなくなる時が訪れます。行きたい国、行きたい場所があれば行くようにしています。今年も10月からドイツに行く予定なので元気な間は行きたいと思っています」と話してくれました。
先生の同級生や後輩が欠け始めていることを寂しく思うと当時に、「今やりたいことをやっておかなければ」と思っているそうです。
ところで岡崎先生から「8月24日に陸奥宗光のシンポジウムを開催したようですね。和歌山県偉人を取り上げて盛り上げてくれていることを嬉しく思います。私の身内に岡崎邦輔がいます。陸奥宗光と親戚関係に当たります」と話してくれました。岡崎先生が岡崎邦輔氏と関係していることを聞いて驚きました。ご縁とは過去からつながっているもので、不思議さと驚きを感じています。
岡崎先生は「陸奥宗光の父親は伊達氏で紀州藩から田辺市に幽閉されていました。そのこともあり幼少期の陸奥宗光は九度山から江戸に行くことになったようです。また岡崎邦輔も今の役職で言うと新宮警察署長に就任するのですが、事件に巻き込まれて退任させられます。当時、陸奥宗光が投獄されていた時期でもあり、陸奥宗光と身内である岡崎邦輔も役職から追放されたようです。その後、政界へと転じることになりますが、和歌山県の誇りは陸奥宗光や岡崎邦輔だと思います。薩長土肥に紀州が対抗できたのは陸奥宗光や岡崎邦輔の存在があったからだと思いますし、現代の日本を形作ってくれた賜物だと思うからです。」
岡崎先生が岡崎邦輔の身内であり、また陸奥宗光と近いことから二人に関する話をしてくれたのですが、私達から「高校生の時にこの話を聞かせてもらっていたら故郷に対する歴史観、学問への関心など違っていたと思います」と冗談のような本音の話を交わしました。高校生の時に近代日本を創った先人たちの国家観をこのようなエピソードを交え学んでいたら、その後に影響を与えることになっているかも知れませんから、私達の世代は次の世代に故郷の偉人の活動の様子、エピソードを語り継ぎたいと思います。
同級生のS君が「考えてみると我々の学年から何人も活躍している人が登場しているよな」と話していました。もう立派に社会を支えている年代となり、その役割を担っている同級生が登場していることを嬉しく思います。
同窓会の時間が過ぎていくのはあっという間です。気がつくと時間が今日の日付を超えてしまいました。