平成29年8月24日「陸奥宗光伯没後120年記念会」が、和歌山ビッグ愛大ホールで開催されます。これは「陸奥宗光伯没後120年プロジェクト―大政奉還・明治維新150年―」記念行事でもあります。和歌山県内で、大政奉還・明治維新150年の記念行事を開催することは嬉しいことであり、他府県に誇れることだと思います。
この120年記念会の主旨は次の通りです。
「坂本龍馬は大政奉還を終え、新国家の建設に向けて準備をしている最中に暗殺されました。龍馬を慕っていた宗光は、その後独り立ちして新政府に入り、陸奥宗光として財源の無い政府の財政基盤を整え、幾重もの困難辛苦を乗り越えて、明治維新の根源であった不平等条約を改正し、西欧列強国による植民地支配からわが国を護りました。日清戦争、三国干渉の難局を処理し、国防の大義を終え、自主独立国になったわが国日本を見届けて、陸奥宗光は明治30年8月24日に逝去されました。平成29年8月24日に没後120年を迎えます」という紹介文が示されています。
記念会の案内チラシをいただきました。お会いする皆さんに配布していますが、良い企画なので多くの方に参加して欲しいと願っています。ただ僕は、平成29年8月24日は、関西広域連合議会開催日のため、この記念会に参加することは叶いません。しかし陸奥宗光伯没後120年と同じ日に、関西広域連合議会で一般質問をする予定なのでご縁の深さを感じています。
陸奥宗光伯の命日に一般質問に立つ予定なので、広域観光として大政奉還・明治維新150年と陸奥宗光伯没後120年記念会を始めとする記念行事を関西広域連合で盛り上げを図り、観光客誘致につなげることを取り上げたいと考えています。
高野山の無量光院に、陸奥宗光の位碑があることは以前記述させてもらいました。本日、高野山で事業を行っている民間の方と懇談した時、無量光院の位碑の話を聞かせてもらいました。8月20日、陸奥宗光が没してから120年の年を迎えるに際して、同寺にお参りをすることを聞かせてもらいました。
今日の懇談の中で、陸奥宗光が幼少の頃、現在の和歌山市から九度山町に行き、九度山町の岡家でお世話になり、無量光院を紹介してもらったそうです。無量光院で暫く滞在した後、江戸に行かせてもらうことになったのです。陸奥宗光を語る上で無量光院の存在は欠かせないものであり、120年目の命日を前にしてお参りすることは意味のあることだと思います。
ただ残念なことに、陸奥宗光と無量光院とのこれ以上の関係を示す資料は存在していないようなので、これ以上の事実を語れる人がいないことを聞かせてもらいました。
陸奥宗光と高野山。そして無量光院と関係性があることは伝えられるので、知った私達がこのことを伝えたいと考えています。
組織の長と懇談する時間をいただきました。職員にとってトップがどんな考えを持っているのか。また職員のことを思ってくれているのかなどのことは関心事項です。
これまでの組織であればトップは職員からの情報を待ち、伺いをあげてきた時に話をするだけでも機能していたと思いますが、現在の組織はトップといえども座って待っているだけで情報が集まり、組織が機能することはなくなっています。
トップから進んで職員の中に入り込み、話をする、意見を聴くなど、コミュニケーションを図る必要性が生じています。
トップがコミュニケーションを取らない場合、職員からすると「トップの姿が見えない、考え方が分からない、だから私達のこれからの動き方が分からない」と思われることになります。「職員は考えるべきだ」とトップは思うものですが、人材が豊富な大企業でもない限り、現実はそうならないと聞かせてもらいました。
トップダウンで動く会社や組織があるとしても、職員の内面は分かりません。不満を感じながら忠誠を誓う職員は少ないと思いますから、トップからコミュニケーションを図ることが、新しい組織論のような気がします。
現在の経営学で現在の組織論についてどう教えているのか。このテーマが興味深くなりました。