台風3号が上陸、和歌山県に到来しました。朝から台風に備えて警戒を行い、河川の警戒など現場の見回りなど行いました。河川管理課の皆さんも現場に出掛けるなど、被害がないように隠れた取り組みを実施しています。和歌山市には夕方に到来し、比較的早い時間に通り抜けました。
陸奥宗光と神戸市の話を伺いました。陸奥宗光は兵庫県知事を務めた経験があります。同県の知事の時代に神戸港開港に関わったことを聞きました。神戸港開港に陸奥宗光が関わっていたことを知り、改めて和歌山県の偉人の功績を称えたいと思います。
また神戸港開港に際して生田川を付け替えています。この生田川の工事を請け負ったのが加納宗七です。加納宗七は紀州藩の御用商人の家に生まれ、陸奥宗光とともに尊皇運動に随っていましたが、その後神戸に来て材木商を営んでいました。
さて居留地造成の当時、生田川の堤防が低かったために少し雨が降ると川の水が溢れでて居留地内に流れ込んでくるという状態で、外国人たちは困っていたようです。そこで生田川を付け替える計画が持ち上がったものです。生田川の付け替え工事は明治4年3月に着工し、同年6月に完成しています。
この工事により旧生田川の河川敷は埋め立てられ、道路(フラワーロード)と宅地が造成されました。加納宗七が埋め立てたこの場所は「加納町」と名付けられています。このように、和歌山県出身者が神戸市の街づくりに関わっていたのです。
アメリカの爆撃機「B29」が和歌山県龍神村に墜落した歴史があったこと。それは1945年5月5日の出来事です。龍神村殿原上空で、日本の「紫電改」の攻撃により、「B29」が墜落したのです。「B29」は広島の呉を攻撃した帰途、日本の高射砲により被弾、大阪上空で積んでいた爆弾は全部破棄していました。ここには11人が搭乗していましたが7人が死亡しました。
龍神村の人達は敵兵だったアメリカ兵の遺体を埋葬し、木製の十字架を建て死者を弔ったのです。終戦前の6月9日のことでした。
以上のような戦時中のエピソードを話してくれました。
そして時は流れて平成26年。龍神村の慰霊碑の前で「B29」の搭乗員のために米空軍の太平洋音楽隊が追悼演奏を捧げたのです。龍神村で毎年慰霊祭を行っていることを知っていた和歌山市に住む元航空自衛官が、この事実をアメリカ軍に伝えたのです。このことを聞いたアメリカ空軍は、和歌山県龍神村に行くことを決めてくれたのです。行く動機になったのは「感謝の気持ちを伝えたい」と言う気持ちからでした。
この時の追悼式には、アメリカ空軍の太平洋音楽隊、県内の自衛隊関係者など約100人が集まっています。
この時のことは「産経WEST」(平成26年10月20日)に掲載されているので、以下に引用します。
「殿原地区の安達俊夫区長(72)は『地域で細々と続けてきたことが米国に伝わってよかった。今日のこの音色は米兵たちの御霊にも届いたと思う』。音楽隊隊長のヘイリー・アームストロング大尉は『地域の皆さんには、感謝しきれないくらいの気持ち。殿原で続く慰霊祭の話を米国の多くの人に広めたい』と話した。」
素晴らしいエピソードがあったものです。この話は太平洋音楽隊を呼んでくれた元自衛官の人から聞いたもので、このような和歌山県の歴史を知り、伝えなくてはならないと思います。
和歌山ゴールドライオンズクラブの平成28年度決算の会計監査に立ち会いました。会計監査の結果、適切と認められました。理事会で報告することにしています。