フィリピンでボランティアをした経験を聞かせてもらいました。フィリピンの治安は思っている以上に悪く、「常に身の危険を感じていました」という程だそうです。貧しい子どもの支援をするために訪問したようですが「予想以上に劣悪な環境」の中で生活をしているそうです。そこで思ったことは「日本は恵まれている国だ」ということのようです。この環境で生活ができていることを感謝すべきだと思うようになったと話してくれました。
危険な経験はしたくないけれど、人生や仕事を考える契機になります。帰国後、フィリピンの子ども達を支援するために古紙回収や空き缶の回収を行い、支援金を集める活動を始めています。このように行動につながる経験をすることは素晴らしいことです。
この取り組みを支援したいと考えています。
向陽高校の先生は素晴らしいと思ったことがあります。向陽高校東京地区同窓会に一緒に行ったのですが、高校三年生の担任を受け持っていることを話してくれました。「生徒が勉強をするのは生きる力を養うためです」ということで、その生きる力とは「知識があると安全な人生を送ることが出来る」からです。
安全な人生とは何もしない人生ではなくて、むしろ自分のやりたいことに挑戦する人生のことです。知識が増えることは道幅が広がっていくようなものです。道幅が広がると目的地に行くのが安全になります。道幅が広ければ見通しが良く、とっさの場合に対応できますし、多少揺れても脱輪の心配も少なくなります。
知識が少ないということは道幅が狭い道路を走るようなものです。視界は悪く、走行時に障害物があって方向転換をしようとすれば脱輪する危険性があります。
広い道路を走行する方が狭い道路を走行するよりも安全ですから、安全な道程を遠くまで行くことができます。学ぶとは人生の道幅を広げるようなものです。道幅を広げるためには、自分で学び知識を得る、そして経験を積むことが必要となります。学校での勉強は思い切って挑戦できる人生を創るために必要となる、人生の道幅を広げるようなものです。
社会人になってからも勉強をする習慣は役立つものです。社会人になると道は幾通りにも分かれ道に遭遇します。その時にどちらに行くかより良い選択をするためにも勉強は必要です。
学生時代の勉強は安全な人生を過ごせるように道幅を広げるためのもので、社会人になってからの勉強はより良い人生を送るための選択をするためのものです。
教科の勉強を通じて生きる力を教えてもらっている向陽高校の生徒は幸せだと思います。
和歌山県倫理法人会主催の特別ナイトセミナーに参加しました。セミナーの講師はアクロナイネン株式会社の勝本会長で、「70年間の雑感」をテーマに講演をしてくれました。会長が話してくれたように「70年間の人生を90分で話すことは難しい」のですが、人生の歩き方について教えてもらったように思います。
それは人生とは線路を進むようなもので、天の意思がそこに隠されていることです。人の人生についての話を聞いて学び、そこから自分の人生を磨いていくことが大事だということです。
もうひとつ。人のために尽くすことが人生であり、尽くした数が100あっても、自分に戻ってくるのは1つか2つだけだと知ること。直接的な見返りを求めないことが天の意思であり、お返しに戻ってくる1つか2つのものを大事にすることによって、その後の生き方が変わってくることを伝えてくれました。
人のために尽くさなければ「あいつは駄目だ」、「あの人はなぁ(あの人は付き合うに足らない)」と言われてしまいます。そう言われたくないので、人のお役に立つ生き方をしたいものです。
講演会などは参加することで得られるものがあります。優れた人の人生の話は、自分の人生に生かすことができるからです。