活動報告・レポート
2017年5月5日(祝・金)
戦没者追悼式
戦没者追悼式
戦没者追悼式

毎年、5月5日に和歌山県戦没者追悼式が挙行されています。今年も和歌山県民文化会館で追悼式が執り行われました。戦後、70年余りが経過していることから、社会から戦争の記憶が失われつつあります。大戦を経験していない世代が社会の中心になっていますが、戦争の惨禍は忘れてはならないものであり、記憶から消してはならないと思っています。

この5月5日の和歌山県戦没者追悼式は、大戦の記憶を今につなぐものなので毎年、出席させてもらっています。この会場の空気に触れると大戦で失われた命の尊さ、そして命を大切にすることを語り継ぐべきだと感じます。どんなことでも同じですが、現場には見つけるべき真実が宿っています。真実は、現場で決して声になっていない声を聞きとることで見つけることができます。

昨年と同じような光景ですが、年々年老いていく遺族の皆さんの姿を見て、この悲しみの光景は途絶えさせてはならないものだと思うのです。繰り返してはいけない歴史は、繰り返し、繰り返して追悼式を実施することで同じ過ちを繰り返さないことにつなげることができます。

思い出したのですが、小さい頃、和歌山城の石垣の所々に大きな穴がありました。一緒にいた母親にその大きな穴は何か尋ねてみると「あれは防空壕で和歌山市が空襲に遭った時、あそこに逃げ込んだ人がいたのです。しかし火が熱くてお城の堀にたくさんの人が飛び込んだようです」と話してくれたことを思い出しました。

大戦で和歌山市にも空襲がありました。和歌山市は火の海になったと聞いています。貴志川に疎開していた母は、「和歌山市が赤く燃え上がっていたのを覚えています」と話してくれたことがあります。今では建物が建ち並び貴志川から和歌山市の様子を見ることはできませんが、当時は和歌山市と貴志川の間に大きな建築物がなかったことから赤く燃え上がる戦火が見えたようです。

そんな和歌山市空襲を体験してきた人達が大戦の語り部なのですが、高齢化が進んでいます。やがて大戦の経験を語れる人が今よりももっと少なくなると思いますから、戦争の記憶をしっかりと受け取りたいと思います。

総務省のホームページに「和歌山市における戦火の状況」の記載を見つけました。

太平洋戦争における米機の本土空襲は、昭和17年4月18日の空軍艦載機が東京付近を襲ったのを最初とする。

東京、名古屋、大阪、神戸など大都会への空襲が激化するなか、和歌山市も何度かの空襲を受けていたが、本格的な空襲は、7月9日の市内大空襲であった。3時間の爆弾攻撃と焼夷弾爆撃で市街地は破壊され、多くの死傷者を出した。

本市では、昭和20年1月9日、1機のB29が突如、吉田、黒田の上空に現れ、250kg爆弾約10発を投下したのを最初、終戦前日の8月14日の松江地区住友工場爆撃を最後として、合計10数回の空襲を受けた。もっとも被害が大きかった7月9日のB29による大空襲は、1編隊が通った後、次の編隊が、さらに第3の編隊がまた落としていくといった風に文字通りの波状攻撃で、午後11時36分に始まり、翌10日午前2時30分まで、縦横無尽の猛攻撃を続けた。

なかでも、旧県庁跡の凄惨さは目を覆うものがあった。4,000坪の空地は、大部分畑地に耕され絶好の避難場所と思われていただけに空襲となると人々は、争ってここに集まり、四辺から迫る火熟と黒煙を凌いだ。

やがて猛烈な旋風が起こって吹き付ける火災は白熱の渦巻と化し、石が飛ぶ、人が飛ぶ、立ち上がって走ってその場を逃れようとしても出来ず、助けを求める声は焼夷弾の爆音や強風の音に混じって凄惨であった。夜が明けてから見る空地の光景は、壕の中、散乱した土管の中、荒廃した畑地の至るところに死体が累々。窒息死したもの、衣服が焦げて半裸や、裸のもの、黒焦げのもの、骨ばかりになっているもの様々で、同所の死者は、本空襲による全市の死者の6割強(748人)を占めた事実から見てもその惨状が思いやられる。

大空襲による市内の火災は、7月10日朝5時ごろになって、大体燃えるものは、燃え尽くして、ようやく収まったが、これまで市の象徴として市民が見慣れた和歌山城の天守閣は、一夜にしてその姿をかき消した。

この空襲よる全市の被害は、全焼2万7,402戸・重軽傷者4,438人、死者1,101人という大惨状であった。

以上の記載です。和歌山市が戦火に見舞われ、大変な事態に陥ったことを改めて知りました。

その他
  • 和歌山県本社の会社の商品が大阪でどんな評価をされているかの調査に出向きました。デザイン性、品質、価格が優れていると市場から評価されますが、そんな評価される商品を生み出してくれていることを嬉しく思いました。
  • 知人の経営する飲食店を訪問し食事をいただきました。心地よい時間を感じさせてくれるのは、おもてなしに優れているからだと思います。