今日と明日の二日間、福島県の視察に出掛けます。初日の今日は福島県大熊町の加藤議員と双葉町の高萩議員を始めとする皆さんと懇談の時間を持ちました。平成23年3月11日のあの日のこと、それから今日までのこと。現地では大変な体験をしていることを痛感しました。
加藤議員からは「3月11日は議会を開催中でしたが凄い揺れを感じ、この庁舎は倒れてしまうと思いました」と話してくれたように、これまでにない揺れを感じ、「大変なことになるのでは」と思ったそうです。加藤さんが思ったように、当初の津波の予想は6メートルでしたが、実際は14メートルの津波が到来しました。予想以上の津波が到来したことから、その後に福島第一発電所の事故が発生、町は大変な事態になりました。
その時の感想は「これからの生活はどうなるのか」。故郷を失うことの何とも表現できない感情を人々は感じたそうです。大熊町は避難区域に指定されていることから自宅に戻ることはできないので、町の人は避難所や親せきなどがいる各地に散らばっています。
加藤さんも体育館で三週間の避難所生活をすることになりますが、その時に提供されたお弁当のお箸に「がんばれ」の文字が刻まれていたので、応援してくれている人がいることの希望を感じ、元気が出たと言います。
ところで平成24年度から除染作業をしていますが、現在まで4.4パーセントの進捗に留まり、ほとんど進んでいないようです。除染の目標は平成33年度までの10年なので年月は半分が経過していますが、それまでに除染を終えることは難しいようです。そのことが福島県産の農産物の風評被害に結びついて、市場での取引が難しくなっているようです。
福島県のお米は品質が良いので人気がありましたが、現在は30キログラムで5,000円程度になっているようで、取引にならない状況だそうです。
しかし福島県の農産物は全量、放射線検査を行い汚染されていないことを確認しているので、「福島県の農産物は安全です。是非、食べて下さい」と言い切ってくれました。
さて福島第一原子力発電所は全て廃炉にすることが決定しています。これだけの施設を廃炉にするのは初めてなので、これからの工程は30年から40年ぐらい要することになると説明してくれました。廃炉を終えて、初めて事故の後始末ができたことになりますから、長い年月をかけて町を復興させることになります。
「これからの復興期間と作業の難しさを考えると、責任を持って見守ることが私の使命だと考えています」と答えてくれました。
また高萩議員は「阪神淡路大震災の応援に行ったけれど、その時は自分の町が巨大地震と津波被害を受けるとは思っていませんでした。自分達の町で津波に備えようと思っていなかったことを反省しています。災害は他人事ではなく自分達にも関係することだと思って備えることが必要です」と話してくれました。そして「多くの人に助けてもらっていることを実感しています。そのことが活動の素になっています」と言うように、多くの人からの応援が力になると思います。
現在、大熊町も双葉町も避難区域に指定されているので、議会も他の町で開催されている状況だと聞きました。自分の町のことを議論するのに自分達の町で議会が開催できない辛さを感じます。一刻も早く除染が進み、故郷の町に戻れることを願わずにいられません。地元議員との懇談を通じて感じたことは、3.11は過去のものではなくて現在進行形のものだということです。3.11は始まりであって復興途上で、まだ終わっていないのです。
町の再生、廃炉措置など、まだまだ長い時間を要する問題であることを痛感しました。
「私達は3.11を忘れない」。その気持ちでこれからも応援したいと思います。