待望の府県間道路が開通しました。第二阪和国道の淡輪と平井間が午後3時に開通することになり、それに先立って午前10時から開通式典が行われました。
大阪府と和歌山県が待望していた府県間道路の開通です。これまで和歌山市から岬町に至る国道は渋滞が多く、早期開通を目指してきました。これまで多くの議員、関係者が尽力してきた結果が今日の開通式につながっています。先人の苦労に心から感謝するばかりです。
開通式は第二阪和国道の淡輪ランプで行われ、大阪府知事、和歌山県知事、関係する国会議員が参加して挙行されました。
来賓の方々からは、待望久しかった第二阪和国道開通の喜びを伝えてくれました。この道路計画は50年ほど前からあったもので、先人達が夢見てから50年後、ようやく実現したことを嬉しく思います。
岬町と和歌山市の間のアクセスが飛躍的に改善されるので観光や物流、医療など私達の生活を豊かにするための効果を発揮することになります。
和歌山県知事からは「東京と隣接する県との間の道路のアクセスが悪いとは聞いたことがありません。東京を中心に首都圏が発展しているのは都と県との間の道路網が整備されているからです。ところが大阪府と和歌山県との間の道路網は整備されていなかったので、大阪府を中心とした発展は首都圏と比較して遅れてきました。ようやく大阪府を中心とした道路網が整備されてきたので、これからの大阪府と和歌山県、そして関西圏の発展につながることになります」と話してくれました。
このように第二阪和国道は、関西圏の将来展望の広がる希望の道路だと言えます。
ところで開通式で先輩の元岬町議会議員と会いました。50年前からの事情を知っているので「感慨ひとしおです」と話してくれました。一時期、この第二阪和国道計画が行き詰った時があったことを教えてもらいました。
それはこの岬町議会議員が議長の時に和歌山市議会を訪ねて、第二阪和国道の早期開通の協力を求めたのですが、その時に対応した和歌山市議会議員が「岬町のことだから和歌山市は関係ない」と答えたことで岬町議会が怒り、「それなら開通しなくてもよい」と事が荒立ったそうです。
決裂ムードが漂いましたが、「その時に間に入ってくれたのが二人の市議会議員さんでした」と、二人の名前を教えてくれました。そして「もしその二人に会う機会があれば『あの時はありがとうございました』と伝えて下さい」と話してくれました。歴史は人の言動によって創られていることが分かる事例です。
この道路には多くの人が関わり工事進捗を支えてきたことを知り、嬉しさがこみ上げてきました。
その後、第二阪和国道を歩く貴重な体験をさせてもらいました。開通した後は自動車専用道路として供用されますから、この道路を歩くことは出来ません。先人たちの作ってくれた道路をこれまでの思いを持って踏みしめました。和歌山市にとって大きな意味のある道路が完成したことを喜びたいと思います。
式典終了後、淡輪から和歌山市まで車で走行し、供用を開始した午後3時からは和歌山市から泉南まで走行しました。開通を待ちわびた車か多く走行していましたが、お祝いの気持ちを持ちながら快適な走りを体験することができました。「やはり道ができると利便性が高まり、移動すること自体が楽しくなる」と思いました。
関係者の皆さんのご尽力に感謝し、今後は思いを引き継いで利用させてもらいます。