和歌山県議会の浅井修一郎議長の告別式に参列させていただきました。余りにも突然のご不幸に言葉がありません。3月7日の県議会本会議での僕の一般質問の時の浅井議長を思い出しました。あの時から体調が優れないようだったので心配しながらも、内心「体調が優れなくても議長の務めを果たしているのは凄い」と思ったことを思い出しています。かなり痩せていて見るからに辛そうだったことを覚えています。
議会閉会日が3月16日でしたから、閉会してから一週間後にお亡くなりになったのです。その使命感と精神力は凄いと思うばかりです。もしかしたら自らの命が残り少ないことを分かっていて、最後まで責務を全うしようと考え命を削って議長の務めを果たしたように思います。
知事の別れの言葉を聞いて、そのことを強く思いました。知事の言葉の中で感動したことがあります。
「浅井議長が亡くなる一日前にお手紙をいただきました。そこには次のように書かれていました。『知事へ。もう私の命が残り少ないことは分かっています。知事と議会は車の両輪ですが、その一つがなくなってしまうことで知事に迷惑を掛けてしまうことを心からお詫びいたします。和歌山県を良くするために、これからも議会と両輪で活動して欲しいと思います。和歌山県のことをよろしくお願いします』という内容でした」という主旨のことを語ってくれました。
死が迫っていく中でも持ち続けている責任感と、自分が去った後の和歌山県の将来を思う気持ちと託したいと願う気持ちが伝わってきます。
果たして亡くなると分かっている直前まで、重要な責務を全うすることができるものなのか。余程の強い精神力と責任感が成せる賜物だと思います。
浅井議長の残した言葉が和歌山県議会の歴史と伝統を強く感じさせてくれました。和歌山県議会議員はこれだけ重い責任を背負っていることを自覚し、もっともっと県政発展のために尽くすことを考えさせられました。今日、私達は浅井議長の思いを受け取りました。
県政発展に尽くすことで、浅井議長の病気と闘ってきたご苦労に報いることができると思います。次の議会は6月ですが、浅井議長の思いを議場での議論で形にするために、今から気持ちが入って来ました。浅井議長と一緒に県政の一端を担うことができて幸せだったと感じています。浅井議長、安らかにお眠り下さい。本当にありがとうございました。
第13回孫市まつりが開催されました。本願寺鷺森別院を舞台に雑賀孫市の世界を蘇らせ、私達を楽しませてくれました。思うことは、13回も続けてきた関係者の取り組みが凄いということです。13年間も盛大な孫市まつりを続けることは並大抵なことではなく、情熱と資金を注ぎ込んでいるからできていることだと思っています。
出演していた鉄砲隊の迫力は凄く、銃声が境内と大空に轟きました。「凄い迫力ですね」と尋ねると「鉄砲を撃つ回数を重ねてきましたから」という回答があり、やはり稽古を重ねることや経験を積むことが大切だと思いました。
さて孫市まつりでは歴史の重みを感じることが出来ます。雑賀孫市が織田信長や豊臣秀吉と戦い、紀州の自治を守った歴史があります。紀州人が群れを嫌い、個人としての自立心が強いのは、雑賀孫市率いる最強集団のDNAを受け継いでいることも要因かも知れません。それぞれが強い意思を持って独自で行動する力を有していますが、それを束ねるリーダーがいなければ集団としての力を発揮できないのが紀州人のようです。戦国時代に登場した雑賀孫市が紀州を特別な存在にしていますし、私達和歌山県人はその伝統を受け継いでいるのです。
そんな紀州のDNAを呼び覚ますような銃声が響きました。もう和歌山市の春の風物詩になっている孫市まつりを楽しみました。