今回で第6回目となるコラボ展で出展された写真と絵画を鑑賞してきました。会場では作者の皆さんが受付当番でいてくれたので、解説を聞きながら展示作品を鑑賞することができました。
作品を鑑賞する場合、作者から直接解説を聞ける機会があると、作品に込められた意思を掴むことができます。作品の中に命の息吹を感じる写真がありました。高野山で撮影されたものですが、一見、「春の光景かな」と思ったのですが、秋から冬に向かう季節の光景でした。作品の中の一部の枝が紅葉し始めているのですが、大半の枝は春に芽生えるような勢いがあるのです。
だから季節は春と思ったのですが、芽生えているように思えた枝は実は寒さで凍っていたのです。氷が枝を包み込み、その氷の枝が空に向かって伸びようとしているように見えたのです。
命が自然の中に閉じ込められようとする季節なのに、命の息吹を感じるような瞬間を捉えていました。説明を聞いたところ「このように枝が氷に覆われることは珍しくないのですが、見ることができるのは朝の寒い時間帯の中の30分程度です」という話でした。
命が閉じ込められようとする中で輝いて見える生命。今年の枝の持つ命の最後の瞬間を見事に捉えています。凍りつく寒さの中で命は木の中に閉じ込められるけれど、春の訪れを待って新しい命を咲かせようとする前の時間を感じることが出来ます。確かに命は消えるけれど、命は力を宿して再び生まれてくる自然の摂理と美しさを感じることができました。
生まれた命は成長を続け、やがて最後の瞬間を迎えますが、再び新しい命として生まれ変わってくるものだと感じます。
この光景に視点を向けた作者の鋭さを感じますし、生きる力を見事に表現している作品だと思いました。この写真の季節から数か月が経過しています。季節は冬から春へと変化を告げ、この枝にも新しい命がこの世に誕生するための準備をしている頃だと思います。
同じように見える光景かも知れませんが、同じ命はそこにはなく、でも確実に昨年を生きた命が受け継がれているのです。自然と季節、今は枯れるけれどまた生まれようとする枝、描かれている全ての命が愛おしく思えてくる作品だと思います。
また展示されている多くの作品を解説してくれたので、作者の意図を理解しながら鑑賞することができました。
毎年、案内をいただいている出展者の皆さんに感謝していますし、新しい作品を生み出し続けてくれていることを凄いと思っています。写真や絵画に命を込めて創作活動を続けている経験豊富な作者の命が輝いています。
ある出来事を捉えて「県民不在のライン」という表現をして語ってくれました。もしも「県民不在のライン」が存在していたらそれを看過してはいけませんし、破壊しなければなりません。県民不在の県政はあり得ないからです。
「いやいや県民不在のラインなんてありませんよ」という答えがあるとしても、その本人達はそんな疑惑を持たれるような仕事をしてはいけなかったと反省する必要があります。常に権力のある人は「李下に冠を正さず」の姿勢が必要です。
「県民不在のライン」と思われてしまう理由はいくつかあります。県民の意見を聞く姿勢を持たないこと。県民を遠ざけていること。県の仕事の中に県民の意見を取り入れないこと。上だけを見て仕事をすることなどです。「県民不在」の状況であれば、為政者は何もすることはありません。為政者の膝元には誰もいないのですから。
このように「県民不在」と表現される県政にならないよう、疑惑に対して調査していく姿勢を持ちたいと考えています。