活動報告・レポート
2017年2月26日(日)
一般質問原稿作成
一般質問原稿作成

平成29年2月議会での一般質問原稿を作成しています。登壇日は3月7日ですが、議長あての通告が3月3日なので、今週末で作り上げる必要があります。時間があるようでないので、一般質問をする時はいつも大変です。

今回も、皆さんからの意見や直面している県政の課題、平成29年度当初予算案と新政策についての質問を行うことにしています。

通告項目は未完成ですが、今日の時点で次の質問項目を考えています。

  1. 和歌山県の偉人を観光に活かすことについて
  2. 修学旅行について
  3. 学校図書館の充実について
  4. 子どもの貧困対策の推進について
  5. 障がい者の就労支援について

これから通告項目の変更や追加があると思いますので、これらの質問項目は最終のものではありません。より良い質疑を交わすため質問原稿完成に向かいます。

就労支援

国の制度で障がい者の就労支援事業があります。対象者は無料で就労するための研修を受けることができ、最長2年間通うことができます。就労支援事業者には厚生労働省から支援を受けられる代わりに、就労支援の期間を終えた人を就職させることが求められています。就労支援事業者は、研修を受けてくれる障がい者を探すこと、研修を終えた後に就労できるように実のある内容にすること、そして就職先の確保のために尽力しています。

ここで問題があります。就労支援の研修の授業料は無料なのですが、交通費が支給されないことです。最長2年間の研修を受けるための交通費を負担できないためこの機会を逃している人も多いようです。

もう一つの問題があります。研修を受けている2年間は所得がないことです。健常者が就労支援の研修を受ける場合、この期間は所得がないので月10万円の支給と交通費の支給があることです。この違いの理由は分かりませんし、障がい者に対しても同じ条件にすべきだと思います。

この点に関して、和歌山県内では御坊市が障がい者が就労支援の研修を受ける場合に交通費の負担をする支援制度があります。交通費の支出の上限があるのですが、就労支援を促す制度だと思います。就労支援に通う障がい者のための交通費負担は必要な支援だと思いますから、他の市町村でも制度化して欲しいと思いますので、和歌山県のリーダーシップが必要です。

ところで障がい者の就労支援事業の対象者は知的障がい者と身体障がい者、そして精神疾患を患った人も対象になっています。一旦、社会人として働いていたのですが、職場ストレスなどから心の病を患った人や、人間関係などの悩みなどから会社を辞めてしまった人も対象となっています。

社会人として働いていた人が社会的ひきこもりになっていることは本人にとっても辛いことですし、社会にとっても損失です。社会復帰を促すためにも就労支援事業の研修を受けて欲しいのですが、ここでも交通費や所得が問題となっています。

企業の障がい者雇用は2パーセントを求められていて、障がい者が働くための就労支援事業は重要な取り組みですから、和歌山県もこの制度の支援を検討すべきことを話し合いました。

大政奉還150年

平成29年は大政奉還150年の年です。既に京都市が呼び掛けた「大政奉還150周年記念プロジェクト」が始動しています。和歌山市も参画していますから、観光面や教育面での成果を期待しているところです。このプロジェクトには途中から参画した和歌山市なので、本格的には平成29年度から企画が実行されると思います。大政奉還や明治維新で活躍した陸奥宗光に関する企画を取り入れたいところです。

丁度、平成29年は陸奥宗光没後120年の年でもあるので、大政奉還150周年記念プロジェクトと組み合わせることで郷土の偉人が活きていますし、観光面でも成果が上がると考えます。

既に全国で展開されている坂本龍馬展に陸奥宗光展を組み合わせて開催することは和歌山県にとって郷土の偉人の功績を発信できる機会となります。大政奉還150周年の年に和歌山市がプロジェクトに参画していますから和歌山県としても何かに関与すべきだと考えます。例えば県民の友に、大政奉還に関わった郷土の偉人を紹介することを連載することや記念切手の発行なども考えられます。

また中学生や高校生の修学旅行先として外務省を訪問することは郷土の偉人教育として有効だと考えます。既に複数の公立中学校が外務省の修学旅行を検討していることを聞いていますから、より多くの中学校で実現していきたいものです。過去、県議会での一般質問で郷土の偉人教育として外務省を修学旅行先として選定すべきことを提言していますから、今回は具体的に検討している学校を訪問し、外務省を選定した理由などを聞いて他校への水平展開につなげたいと考えています。

また陸奥宗光の生涯を作家津本陽氏が描いた小説「叛骨」を推薦図書に指定している高校があります。郷土の偉人の生き方の勉強をすることを推奨している高校があることを嬉しく思いますし、この取り組みも他校に水平展開できるものです。推薦の経緯や考え方を聞いてみたいと考えています。

更に平成28年度に和歌山県文化功労賞を受賞した歴史小説家の大路和子さんは、平成18年に「相思空しく 陸奥宗光の妻亮子」を出版しています。残念なことに現在絶版となっていますから、復刊することを和歌山県として呼び掛けることも考えてみたいことです。

和歌山県の文化功労賞を受賞した作家が描いた郷土の偉人の妻の物語を絶版させていることを問題視し、和歌山県が表彰したことの重みを考えると復刊させたいところです。これも和歌山県の文化事業のひとつになると思います。

もうひとつ、やるべきことがありますが、それについては平成28年12月に知事がメッセージとして発信していることを知りました。それは「南葵楽堂」と「南葵音楽文庫」に関する事業です。このことに関しての歴史的意義はここで記すよりも知事のメッセージを引用する方が分かり易いと思いますので、以下に引用します。出典は「平成28年12月の知事からのメッセージ」です。

しかし、頼貞侯のおやりになった事は、紀州徳川家の家産は傾けたかもしれないが、そのかわり、日本に西洋音楽の種をまき、今日の隆盛に導くきっかけとなったのです。頼貞侯は、西洋音楽を演じることのできる音楽堂(南葵楽堂)を作り、多くの音楽家を後援し、諸国を回って、音楽に関する膨大な資料を集めました。そして、その資料を南葵音楽文庫と名付けて音楽堂に付属する図書館に収蔵し、音楽家や音楽研究家の学習の用に供したのでした。

収集した資料には、ベートーヴェンの自筆楽譜や自筆書簡、ロッシーニの自筆楽譜、ヘンデルの自筆音楽理論など世界唯一となる貴重なものが含まれているのをはじめ、その他の文献や楽譜も今では手に入り難いものばかりです。(この間の事情は村上紀史郎著「音楽の殿様・徳川頼貞」(藤原書店)に詳しく述べられています。)

徳川家の家産と引き替えにした頼貞侯の音楽関係の資産は、関東大震災で被災したため、南葵楽堂は取り壊されましたが、大部分の南葵音楽文庫はその後、転遷し、読売新聞社を経て、読売日本交響楽団に引き取られました。19世紀から20世紀初頭までに至る西洋におけるそれまでの音楽に関する貴重な資料が多く含まれるとともに、日本における西洋音楽勃興の原点とも言うべき資料が、読売新聞社によって、保存されたということは、日本の音楽界にとっても大変な僥倖であると思います。改めて、当時の読売新聞社の幹部の文化に関するセンシティビティと英断に敬意を表したいと思います。しかし、読売日本交響楽団も、本来は音楽を演ずる存在ですから、この南葵音楽文庫についてはその整理にも着手はされたものの、保全も含めて、なかなか肩の荷が重くなってきたというのもあるいは仕方がないことであると思います。

※南葵楽堂にあった当時わが国最大の英国アボット・スミス社製のパイプオルガンは、東京藝術大学の奏楽堂に移設され、今も現役です。

この情報を聞いた私は、それならば、和歌山県でお預かりをして、南葵音楽文庫としてもう一度顕彰し、保全はもちろん、資料の整理やその公開、更には世界へアピールなど活用を図らせていただけませんかと読売新聞社にお願いをいたしました。

それに快く応じて下さった読売新聞サイドと細部にわたる詰めを行った上で、2016年12月2日、南葵音楽文庫に係る寄託契約を締結しました。本当に感謝します。

これで和歌山には、今までなかった紀州徳川家の誇る文化遺産をお預かりすることができるようになりました。それも、和歌山の県名には「歌」が入っていますが、それに符号する近代日本の音楽の遺産が和歌山にあるということになりました。本当に名誉あることです。

読売新聞社及び読売日本交響楽団には心から感謝をしておりますが、ただ喜んでいる訳にはいけません。

  • 南葵音楽文庫は、県立図書館内に専用の書庫スペースを設けてまとめて大事に保管しますが、特に貴重な一部の資料はより保存管理が徹底できる県立博物館で保存します。
  • 既に実績のある慶應大学名誉教授の美山先生のチームにお願いして、いわば学芸員として、資料の整理を行っていただき、音楽の研究家が誰でも利用できるような形で、全世界に発信します。
  • 少し整理のできた2017年12月3日に南葵音楽文庫を仮オープンとし、整理が一通り終了する2019年は、紀州徳川家400年に当たり、本格オープンする予定です。
  • 仮オープンと時を同じくして、県立博物館で、南葵音楽文庫関連の展示会を行い、またその頃ゆかりの読売日本交響楽団に和歌山に来てもらって南葵音楽文庫及び徳川頼貞侯記念コンサートを行う予定です。
  • 折にふれ、関連シンポジウム、展示会、コンサートをずっと和歌山で行っていく予定です。

これらの事業を具体化させることが故郷の歴史を知ることになり、文化活動につながると考えています。