今年最初のナームの会に参加しました。今年も初回は阿弥陀寺の高木歓恒住職で、とても素晴らしい講話を聞かせてもらいました。今年も新年から心が洗われる話を聞かせてもらったことに感謝しています。
人は事象や物事を見て自分で判断を下していますが、そこには固定概念と言うものが存在しています。例えばあるモノを見て大きいと思う人もいますし、小さいと思う人もいます。また長いと思う人もいれば、短いと感じる人もいます。同じモノを見ても人によって見方は違います。
人はこれまで自分が経験してきたことを判断材料としているので、経験と照らし合わせて、大きい小さい、長い短いなどを判断しているのです。ひとはみんな違う尺度を持っているので、自分と同じ感じ方の人はいないのです。だから他人を自分に合わせようとしても無理があります。それを分かった上で自分が判断をして、人に自分の判断だけが正しいことを強制しないことが大事です。
あった事実は変わりませんし、その事実を変えることはできません。例え、祈りによってでも事実は変えることはできないのです。過去を変えられない、では何のために祈るのでしょうか。
それは自分の心を変えるためです。事実は変わらないけれど祈ることによって心を変えることができます。そうすればあった事実の捉え方が違ってくるのです。人は自分が思い通りにならなかったことを人の責任にしたいと思います。しかし心を変えると起きた事実を人の責任に押し付けようと思わなくなることがあります。祈りの力は自分の心を変えることにあります。
宗教と道理の価値観が違った場合、道理を取ることが大事です。道理とは正しいことで間違いがないことです。迷った場合は道理に従うことで正しい判断ができます。
悪いことをしました。知ってやった行為は悪いのです。では知らないでやった悪い行為はどうでしょうか。言い訳として使う台詞があります。「悪気はなかった」。
しかし知らないでやった行為は根が深いのです。それは悪いと思っていないと心を改めることは難しいからです。場合によっては知って行った悪い行為よりも、知らないで行った悪い行為の方が、より悪いのです。だから「悪気はなかった」という言い訳の台詞は使わないようにしたいものです。
心の豊かさは数値化できません。本当は学力と同じように心の豊かさを数値化できれば、人間力が分かるのですが、心の豊かさは数値化できないことから計れないのです。
故小林秀雄さんが「優しい心は感じることである」という言葉を残しています。どんなに偉い人でも、賢い人でも、優しい心を持っていなければ立派な人とは言えないのです。人には優しい心が必要です。
高木住職の講話は心の深いところに届きます。話を聴いている人の中には、涙を流している人も、感動の表情をしている人もいました。そして帰る時、みんな幸せな表情になっていることが素敵だと思いました。
今日の言葉です。「人間は生まれ変わることはできない。しかし生き方は変えられる」。
案内をいただいた新年会に参加しました。たくさんの知人と出会い、改めて皆さんとのご縁を感じました。皆さんともご縁と感謝の気持ちを持っている方々で、皆さんとの会話を楽しみました。
その後、同級生のお店で新年の懇親会を開催しました。今年最初の顔合わせの機会だったので交流を深めました。もう仕事が始まっているので通常の生活に戻っていることから、平成29年の和歌山県に期待する意見をいただきました。期待しているのは、仕事の機会を増やして欲しいこと。継続した仕事があることで地域は活力が保てるということに尽きます。公共事業と民間事業の両方が継続してあることが、地元企業にとって必要なことだと感じています。
和歌山県の取り組みに「仕事を創る」取り組みがありますから、この政策に力を入れたいと考えています。