活動報告・レポート
2016年10月11日(火)
京都市研修会二日目
京都市研修会二日目
伊藤若冲作品展

研修会二日目は京都市美術館を訪ねました。全国から注目されている伊藤若冲生誕300年を記念して開催されている「若冲の京都 KYOTOの若冲」作品展を鑑賞しました。

伊藤若冲の作品を鑑賞するのは初めてのことです。今年、東京で開催されて大きな話題になりましたが、その時は訪れる機会がありませんでした。今回、その機会を得られたことを幸運に思っていますし、この企画をしてくれた皆さんに感謝しています。

若冲の作品を語るだけの知識はありませんが、絵画を超えた絵画だと思います。生きているものを絵の中で生命を吹き込んだような感覚があります。生きている。作品の中に存在している生き物が生命を吹き込まれている、そんな感じです。生きていることを感じるのは、今を生きようとしている躍動感、時にはひっそりとしているけれど確かにここにいるという存在感などが表現されているからです。本物以上に細かく表現されている鳥の羽や木々の葉など、実物を超えた実物が表現されているのです。今回は123作品が展示されていましたが、生命が宿った作品に囲まれて、生きることは自然と共生することが生命力を高めることだと感じさせてくれました。

それにしても伊藤若冲の作品から大きな生命力を感じます。「ここで生きている」。そう感じざるを得ません。

今年特集されたテレビ番組を偶然見る機会がありました。そこで生前の若冲は「私の作品が分かるまでには500年の時を必要とする。500年後の人が作品を観て驚くだろう」と言っていたことを伝えていました。若冲が生きていた時代の人は、その技法や表現力などを見抜く力が備わっていないことを言っていたのです。それだけ時代を先取りした技術と表現力を持っていたのです。

ところで全てを解明できないということは、作品が昔に留まっていないで成長し続けているということです。作品が成長しているので、作者の意図するところや技術を解明できないのです。作者と後世の人との知的なゲームのようなものが続いています。果たして若冲の意図するところが解明される日は訪れるのだろうか。そんな関心を持っています。

そして300年前に生まれた若冲の作品を、平成の時代に鑑賞することができる幸運に感謝しています。これだけの作品が残されていること、鑑賞する機会を与えてもらっていることは贅沢であり奇跡です。300年前の時代に生きた鳥や鯉などが作品の中で生き続けていることは奇跡だと思います。

平成28年は生誕300年目ですから、まだ若冲の作品の本当の力を知る世代ではないかも知れません。現代の作品の解釈は500年後の解釈とでは、全く違う評価になっているかも知れません。後々まで評価を定めることが出来ない作品を残した作者の能力に敬服しますし、そんな人物を生み出した京都という場所の文化力に驚きます。他にはないここで芽生え成長している伝統的な文化と芸術の力を感じました。

本物に接して、本物が持っている力、感動を感じることが出来ました。この力や感動を自分の中に取り込めるようにしたいものです。本物が持つ力、本物が人に与える感動を伝えていく。それが自分の力になっていくと思います。

伊藤若冲の作品に接して、この場所にだけある京都を堪能することができました。貴重な時間を持つことが出来ました。

京都市美術館を出発してから和歌山市へと帰路に着きました。都と紀伊の国。距離も時間も近い位置関係にあります。京都から和歌山県へという観光の流れを作るためには、和歌山県は文化と歴史の再発掘を行い、他府県から評価されるような存在に高めていく必要があると思います。京都に匹敵する文化と歴史を伝えなければ、京都を訪ねた観光客が和歌山県に来ることはありません。

平成28年9月議会本会議の一般質問で取り上げたように、和歌山県の歴史と偉人を再度発掘し、その存在の位置づけや歴史的地位の確立をすることが必要だと強く感じています。