活動報告・レポート
2016年8月5日(金)
スナーダイ・クマエ絵画展
スナーダイ・クマエ絵画展
スナーダイ・クマエ絵画展

スナーダイ・クマエ孤児院の子ども達の絵画展を和歌山市で開催するのは今回が6回目となりました。会場となるフォルテワジマではテープカットの式典が執り行われ、今日から三日間の会期で開催されることになりました。

今回の出展作品は明るい色彩のものが多いように感じます。題材としてカエルやヘビ、カタツムリなども登場し、これらの生き物が日常生活に登場していることが分かります。子ども達は普段見ていないものを書くことはないからです。日本の子ども達と見ているものが違いますが、カエルやヘビの色彩はとても鮮やかなのです。

子ども達にとって、これらの生き物は気持ちの悪いものではなくて、友達のような存在だからきれいな色彩で描いているのだと思います。一般的には、人は絵を書く時、嬉しいことや楽しいものはきれいな色を使いますし、嫌なことや嫌いなものは暗い色彩を使うと思います。カンボジアの子ども達は、自然にいる友達に囲まれて生活していること想像してしまいます。

ところで、カンボジアでスナーダイ・クマエ孤児院を経営しているメアス博子さんは和歌山県海南市の出身で、1998年にカンボジアの子ども達に教育機会を与えるために同施設を作りました。メアス博子さんと会うのは6回目となりますが、以前話をした中で印象に残っていることがあります。

「それはカンボジアの子ども達の目は、元々はキラキラしていない。キラキラした目になって欲しいと思います」という話でした。経済的な困窮、治安の悪い中での生活、恵まれない環境で生きることは、将来の希望が少ないということです。希望がないところに生きているとキラキラした目にならないということです。

キラキラした目を持つためには将来の希望が必要なので、メアス博子さんは「子ども達をキラキラした目にする」ために活動をしているようだと思いました。

そのために絵画を教え、絵画を買ってくれる人がいるとお金に換わることを知ってもらい、自分でお金を稼ぐことの尊さと生きる手段を教えています。貧しさは希望を遠ざけます。その貧しさを克服するためには、自分が働かなければならないことを孤児院の生活や絵画の指導を通じて教えているのです。

カンボジアでは嘘をつくことや物を盗むことは日常茶飯事だったようです。濁った目をした子ども達は貧しさの中で生きていますから、生きるための手段として仕方のない環境に置かれていました。

しかしキラキラした目を持っている人は嘘をつきませんし、物を盗みません。カンボジアの子ども達にキラキラした目を与えることで、道徳心を持たせ、生きるためには仕事をしてお金を稼ぐことを教え、お金を稼ぐためには社会や人のお役に立つこと、人が喜びを感じることをすべきことに気づかせようとしているのです。

スナーダイ・クマエ絵画展

この時期、日本に来たメアスさんは全国の都市で絵画展を開催しています。式典冒頭で「和歌山市で開催している時は温かい空気が迎えてくれる」と話していましたが、会場の空気が温かいと感じるのは、施設提供者、主催者、お客さんの心が温かいからだと思います。人の優しさが会場内に満ちると空気が温かくなるように感じます。

温かい人たちが住む和歌山市だから、6回目となるこの絵画展を開催できているのです。

和歌山市で開催されるスナーダイ・クマエ孤児院の絵画展がこれから先も継続し、温かくて優しい人が訪れる絵画展であり続けて欲しいと願っています。和歌山市の私たちのこの思いは、会場に来ていないスナーダイ・クマエ孤児院の子ども達の心に届いていると思います。

その他
  • 支店支部大会と打ち上げに参加しました。私達は厳しい社会環境の中にいますが、各自が役割を果たしていくことで明日が見えてくるものだと思います。みんなとの時間は楽しいひと時となりました。
    懇親会ではガルウイングスが参加して音楽で盛り上げてくれました。参加者の一人が「音楽は盛り上げるのに欠かせませんね」と話してくれました。音楽は場の盛り上げを始め、生活のシーンに不可欠なものです。ガルウイングスの演奏を参加者全員で楽しみました。
  • アプリの効用について説明をしてもらいました。スマートフォンの時代なのでアプリは珍しいものではありませんが、取得してもらえること、活用してもらえる手段は考える必要があります。アプリを作成して終わりではなくて、活用してもらうことがアプリの生命線です。活用の方法に関して有意義な議論を交わすことができました。