先輩が運についての考え方を教えてくれました。運のある人、運のない人がいます。運は偶然性が支配するものだとか、運は平等に与えられていると言いますが、これまでの人との出会いから「そうではない」と話してくれました。
運のある人は人のお世話をしている人、人の役に立とうと考えて行動している人、仕事や日々の生活を楽しんでいる人だと言います。
運のない人は自分の得になることだけを考えている人、人のお世話をしない人など、人より自分という考え方の人です。
そして運のある人の仲間の下には運のある人がやってきます。増々、運がよくなる循環になっていきます。また得た運は抱えていないで、人のために使うことでまた新しい運が巡ってきます。得た運を抱え込んでいると運は巡ってこないようです。何故なら、運とは関わった人からいただくものなので、いただいたものは与える必要があるからです。巡り続けている運は自分のところに留めておくことはできないので、得た運は人のために使い、また運をいただくことの繰り返しです。運は自分の行為を中心として循環しているものだということを意識したいと思います。
このような考え方を示す二つの事例を説明してくれました。
一つは、運のない人同士が出会って交通事故になったことです。以前、一台の車が赤信号で交差点に進入し、前方車を見落として右折してきました。反対車線を直進してきた車が止まろうとしたのですが、間に合わず正面衝突してしまいました。原因は赤信号で交差点に進入し右折しようとした車にあります。一方的に悪いのですが、もう少し掘り下げると、衝突されて車の運転手がもう少し前方を注意し危険予知していれば、正面衝突を避けられた可能性があります。
そして本質的なことを考えると、運のない人同士が出会ったから正面衝突してしまったと思いたくなるということです。どちらかの車両の交差点への進入が1秒でも前後にずれていれば事故はなかった筈です。交通事故は運によって左右されることがあります。
どちらかの運がよければ正面衝突が避けられていた可能性があるのです。
もう一つの事例です。「あなたは運を持っていないように感じます。頭が良くても運がないと出世できないと思いますから、運を良くするような行動をした方が良いですよ」と話したことがあると聞きました。
そう思った理由は、自分の得になる仕事はしますが、人が困っている場合や人の範疇の仕事は助けようとしないことでした。自分の仕事はきっちりとしているのですが、人を助けよう、育てようという気持ちがなかったのです。出世や評価は周囲の人によって決められる要素があります。人のことを思いやらない人は頭が良くても社会で頭角を現すことはできません。それから数年後、運がないと指摘された人は行動を変えなかったので、やはり思ったほど出世していないようです。
先輩が人生を振り返り、後輩の教訓となるような話を聞かせてくれました。仕事は関係する人によって結果も違いますし、その後も変わってしまうことを教えてくれました。単独で仕事をやり遂げることはできません。大部分の仕事はチームや仲間と一緒に意見を交わし、作業を進めることになります。しかし人によって考え方や感性、関心事項が違いますから、その時の上司の考えや感情によって評価されたりされなかったりします。
左遷や希望する職場と異なる職場に配置換えされることもありますが、腐らないで新しい環境に適合するようにしたいものです。不満があってもぐっと堪えること。言いたいことがあっても我慢すること。人は逆境の時のその人の考えや行動を見ています。常に変わらない行動を心掛けたいものです。