活動報告・レポート
2016年5月7日(土)
ナームの会
ナームの会
ナームの会

二か月に一度開催しているナームの会に参加しました。毎回思うことですが、この会に参加して話を聞くと幸せな気持ちになれます。お坊さんの卓話は私達の生き方を諭してくれることが多く勉強になります。今日は「白道を踏む」というテーマで話を聞かせてもらいました。白道とは、この世とあちらの世をつなぐ道のことだそうです。人は生まれてからこの世で生活をしていますが、死が訪れるとこの世からあちらの世に行くことになります。その時、通過する道が白道なので、道を踏み外さないように歩く必要があります。踏み外さないためにはこの世の出来事を「有り難い」と思うことが必要になります。人はあちらの世には何も持って行くことができません。人に与えられる感謝の気持を持って、人から感謝される人になって白道を踏みたいものです。

例えばナームの会の会場は和歌山市内の「ちひろ」ですが、この会のために会場を提供してくれているからナームの会を開催することができていますし、参加して聴くことができているのです。ですから「単に会場があるから会を開いているのではないことを知って下さい」と有り難い気持ちを持つことを今日の事例で諭してくれました。

本当にその通りです。会場を提供してくれている人がいるのでこの会が成立しているのです。人は誰かに助けてもらって、人の力を借りて活動することができているのです。このように他力を借りることはとても大切なことなので、できるだけ他力を借りられるような生き方をすること。そして自分の力を誰かに貸すことができる他力を身に付けたいものです。

他力を身に付けるためには傾聴する力が必要です。傾聴とは相手の話を聞くことです。相手の話を聞いて問い掛けがあればその問いに答えますが、それ以外は聴くことに専念することです。これを傾聴と言いますが、お坊さんはこの傾聴力を持っています。人の話を聞くことができるから人を助けることができるのです。

しかし傾聴は難しいことです。話を聞いて、「それは間違っている」と思っても、その人の誤りを指摘してはいけないからです。相手が間違っていると思っても、一旦、そのことを飲み込み、間違いを指摘するのではなくて諭す能力が必要となります。自分の主張をすることは誰でもできますが、自分の主張ではなくて相手の話を聞いてそれに答える傾聴ができる人は少ないのです。そんな傾聴力を身に付けることができれば、人間ができていきます。

仏教の世界では、「自分が」ばかりの人が一生費やして得るものよりも、仏法を一日聞いた人の方が勝っていると言います。「自分が」と自分本位の人は人生で得るものは少なくなりますからも白道を踏むことも難しくなります。白道を踏むためには「自分が」の人ではなく、相手の立場を尊重し傾聴できる人を目指したいものです。

このように生きることは難しいことですが、毎日を幸せに過ごすことができれば一番良いことです。そのためにすべきことは「ちょっとしたこと」を感じることです。

  • ちょっとしたことを嬉しいと思うこと。
  • ちょっとしたことを悲しいと思うこと。
  • ちょっとしたことに傷つくこと。
  • ちょっとしたことを楽しいと思いこと。
ナームの会

この「ちょっとしたこと」を感じられるなら、嬉しいことでも悲しいことでも幸せに感じられるのです。「ちょっとしたこと」を感じなかったり、見逃す人は幸せを感じにくくなります。毎日は「ちょっとしたこと」の繰り返しですから、「ちょっとしたこと」を感じる方が得ですし、心の変化を感じられるので幸せだと感じます。

最後に、「内外不想応」という言葉があります。人は内心と外面とは違って当たり前だということです。人は外に現れている部分と内心が違って当たり前の存在だと思うことです。内外が一致した人はいないと思うと、腹を立てることは少なくなります。

相手だけではなくて、自分も内外不想応の存在なのです。

実家

実家に戻り昼食をいただきました。明日は母の日ですが、連合自治会の研修会で和歌山市内にいないことから、今日戻ることにしました。お昼から食べきれないほどの食事を出してくれて、「夜みたいな量なので食べ切れないかも」と話しました。それには笑顔で応えてくれませんでしたが、きっと戻ってくれたことを嬉しく思ったことと「日頃忙しくしているのでお昼を食べることが少ない」から、せめて実家に戻った時の食事だけでも「たくさん食べさせよう」と考えてのことだと思います。

「一人だと余り作らなくなったから、魚料理は久しぶり」と言いながら炊き込んだ魚のハゲを出してくれました。以前はよく食べた魚ですが、今日は久しぶりのことです。以前は毎日でも食べることができた料理ですが、最近は食べる機会が少なくなっています。実家で食べることが当たり前のことではないことに気付かされます。

今日はお昼からたくさんの量の料理をいただくことができました。このことは「ちょっとしたこと」ですが、幸せを感じられる日常だと思います。