和歌山県戦没者追悼式が執り行われました。毎年5月5日に開催している式典で、戦火に没した英霊に追悼の気持ちを表しました。戦争の時代に生きてわが国のために、また和歌山市で空襲に遭い生命を落とした先人達に「現代に続く平和の基礎を築いてくれてありがとう」と感謝の気持を伝えました。
遺族の方々の挨拶をお聞きすると「戦争は二度と起こしてはならない」、「平和な時代を守って欲しい」、「恒久の平和を願っている」という言葉が散りばめられています。現代の日本は平和で豊かな国になっています。先人が心から願い、築きたかった国が現代の日本の姿です。終戦前後の日本と比較すると、現代は夢のような時代になっていると思います。戦争の恐怖、戦争で命を落とす恐れに晒されない国になっているからです。若者が戦地に赴くことや、空襲から逃げなければならないという恐怖がない時代は、やはり平和だと言えると思います。
会場内で式典に参列していると、わが国を守ってくれた先人に感謝する気持ちが自然と沸き起こります。平和な時代を守り、次の世代にも継承することが現代社会に生きる私達の使命だと感じます。戦争を体験した世代が少なくなっている今日、体験していないことを伝える難しさを感じるばかりです。生まれた時から平和が築かれ、国は成長を遂げていた時代ですから、戦争の恐怖、明日の命が保証されていない時代を実感することはできません。それでも戦争は二度と再び起こしてはならないことを、実体験と同じ気持ちで伝えなければならないのです。
この戦没者追悼式は、戦争は絶対に起こしてはならないと参列している私達に命じているように感じます。この会場の緊張感の中で感じるものが、恒久平和への想いをつなぐ気持ちとなります。
先の高野山の慰霊祭でも感じたことですが、戦没者の追悼式典と遺族の皆さんの言葉に触れることが皆さんと気持ちを共有でき、現代の平和を次に継承していく資格を得るような気持になります。
追悼式典も素晴らしいものでしたが、和歌山児童合唱団による合唱も追悼式に相応しく素晴らしいものでした。谷川俊太郎さんの「今年」を合唱で歌い上げてくれました。今を生きる私達に、今を生きることの意味を教えてくれるようでした。今年が素晴らしいのは、昨年とは少し違うからだからです。ほんの少し違うだけで今年素晴らしいものになっていると伝えてくれています。
くだらないことを喜ぶことが素晴らしいことなのです。
ご飯がおいしい日があることも素晴らしいことなのです。
新しい靴を買うことも素晴らしいことなのです。
大笑いすることや涙を流すこと、あくびをすることが素晴らしいことなのです。
こんなささやかな幸せを感じられる今年であるなら、昨年よりも今年は素晴らしい年になっています。
土に眠る先人達も、社会を築いてくれた人たちも、現役の時代を生きている私達も、未来を背負う子ども達も、みんな昨年よりも素晴らしい今年を生きているのです。決心が鈍ろうと、小さな幸せが大きな不幸を消せなくても、何かがある今年は素晴らしいのです。
合唱を聴きながら、歌詞の意味を噛みしめてそんなことを思いました。
式典の最後に「ふるさと」を会場全体で歌いました。この歌が歌える幸せを感じながら、素晴らしい追悼式を終えました。