貴志川線の新しい駅の実現を目指す動きがあります。平成20年頃にも話はあったようですが、条件が整わないことから立ち消えになっていました。今回、貴志川線に新しい駅を作るのは最後の機会だと思って相談に来てくれました。
随分以前、貴志川線に津秦駅が存在していたそうです。当時の駅ですから簡単な作りだったようですが津秦に駅があったのです。何かの事情で津秦駅はなくなって現在に至っています。そのため日前宮駅と神前駅間の距離が少し長くになっていることから、津秦駅の設置は夢物語ではないと話だと思います。地元の強い要望や熱意ある動き、利用が見込まれるような状況になれば貴志川線も検討してくれる可能性があることも伺いました。
両備グループの児島社長が今年1月和歌山市内で講演をしたそうです。その時の話では貴志川線の存続のために力を貸そうと思ったのは沿線に「神社があり、良い地域に路線があるから」だそうです。貴志川線沿線の神社とは日前宮、竈山、伊太祁曽神社を始め、津秦にも天満宮があるように名所が多く存在しています。電車の沿線にこのような有名な神社が存在していることは珍しいことだと教えてくれました。
その後、新車両の投入やたま駅長の任命などから人気を博し、10年前と比較して大幅に利用客が増加しています。観光客の増加によって注目を集めていますが、やはり基本は沿線の方々の利用が必要です。基本は通勤や通学のための電車であり、そこに観光客が利用してくれる、そんな貴志川線にすることが将来の存続につながることです。
さて今日の話の本題は、和歌山市にとって貴志川線は欠かせない存在だということです。単に沿線の方々が利用する鉄道ではなくて、まちの機能の一部を担っている鉄道であることを認識して欲しいというものでした。津秦駅は駅周辺地域の住宅整備にもつながり、貴志川線の利用促進にも資することになります。
貴志川線を、JR和歌山駅を経由して南海和歌山市駅につなぐことで、鉄道は貴志川から加太まで直結することになります。通勤や通学、観光客にとって利用価値が高まり、そのことが和歌山市の都市機能を高めることになります。沿線地域の住宅開発による活性化に資する新駅の設置と共に、鉄道をつなぐことが和歌山市にとって必要なことだと思います。
和歌山市の課題は若い人たちに県外から戻ってきてもらうための働く場所の確保や、高齢社会への対応としての公共交通機関の利便性向上などがあります。
今から新たに公共交通機関を作り上げることはできません。今存在している公共交通機関の利用促進と利便性向上を図ることが課題に対応できる方法です。幸い和歌山電鐵の経営者は和歌山市の活性化に貢献してくれていますし、貴志川線利用促進のためのアイデアを打ち出すことで地域貢献してくれています。貴志川線の新しい車両の投入やたま駅長が、齎してくれている和歌山市活性化の効果は計り知れないと思います。貴志川線に関係する地方自治体の観光施策や広報活動だけでは、和歌山市が全国から注目されるほどの情報を発信できなかったと思います。やはりたま駅長の存在と次々投入してくれている新型車両の発表が、全国から注目されている要因だと思います。
鉄道会社と地元が協力し合える関係を築いている現在、新たな貴志川線の打ち出しとして津秦新駅の設置は実現不可能なものではないと思います。そのために地元の盛り上げと共に、国の地方鉄道の支援策と地方自治体からの支援も期待したいところです。関係する皆さんの熱意と思いが満ちている今回の機会を逃してしまうと、将来共に津秦新駅の設置は難しいと思うほどです。
貴志川線を存続させた沿線の方々の力を再び発揮してくれるなら、現実になる方向に向かうと思います。次回は6月に話し合いの場を持つことにしました。夢を実現させるために、皆さんの理解と行動力に期待しています。
和歌山県を拠点として音楽活動を続けてきたウインズのファイナルコンサートが行われました。日頃からお世話になっているウインズ平阪さんの最後の勇士を観ようとコンサートに応援に行ってきました。感動に浸った4時間のステージでした。長時間のコンサート、そして長い間お疲れさまと言わせてもらいます。
ウインズの結成から30年が経過した今年、ウインズとしての活動を休止することからファイナルコンサートが開催されたものです。和歌山県を拠点として30年間も音楽活動を続けてきたことは快挙だと思います。目指していたサザンオールスターズには届かなかったけれど、地元和歌山県の音楽シーンに欠かせない存在になっていました。
途中、バラードを聞きながら、「この曲は当時有線放送で45位までプチヒットした曲です。当時、シャ乱Qのシングルベッドと競っていたのですが、シングルベッドはそこから上昇していったのに対して、ウインズの曲は下降していきました」と話してくれたので、またしてもメジャーグルーブと競い合っていたウインズの逞しさを知ることができました。
しかしウインズは徹底的に地元和歌山県に拘って、和歌山県を題材にした曲を歌ってくれています。「ずっと和歌山」や「なんで和歌山」などは昔の和歌山市を思い出して切なくなる曲です。高野口町で育った平阪さんは、約40kmも離れた都会和歌山市に連れて行ってもらうことが「嬉しくてたまらなかった」と言います。今はその欠片も感じられないことが寂しくて、昔の和歌山市の賑わいを取り戻し、和歌山県内の人にとって和歌山市は憧れの場所であって欲しいと伝えてくれました。
この話を聞いて、和歌山市が元気でなければ和歌山県の発展はあり得ないと確信しました。和歌山市以外の人が「和歌山市が賑わってリーダーでいて欲しい」と願っているのですから。
ファイナルステージに参加して、全力投球で駆け抜けた4時間のコンサートと30年間だったと思いました。音楽への愛着、やり遂げた感、終わりの時が訪れた寂しさ、新しい旅立ち。コンサートでそんな言葉が浮かびました。
30年間ウインズとして活動してきて、55歳の今、新しい旅立ちを決めたこと。大きな決断だったと思いますし、人生の全てをウインズとして生きてきた幸福感も漂っていました。
55歳からの旅立ちは新しい道を歩くことを意味しています。コンサートを終えた後の寂しさを感じますが、明日になれば新しい一日の始まりです。希望に燃えてソロとして活動しようとするメンバーの姿がそこにあると思います。
ウインズはこれまで歩いてきた道に別れを告げて、新しい道を歩き始めます。確かに歩いてきた道が刻まれているから、新しい道も自信を持って歩いて行けると思います。30年前に立った地点から30年後の今との間には、大きな思い出と長い旅の記憶という距離が刻まれています。地元で活動した30年間は無駄なものではなく、この30年間は地元で生きてきた証なのです。その証拠に、後に続く音楽家がウインズの後ろで育ってきています。
ウインズの最後の瞬間と最初の瞬間に立ち会えたことを嬉しく思います。今日のコンサートで最後の扉を開けると最初の扉が待っていたようです。これからも続く道を応援していますし、これからも和歌山県で活動していくウインズ平阪さんと道が重なることを楽しみにしています。30年間の活動、お疲れ様でした。そしてありがとうございました。