本当に偉い人ほど謙虚であることを再認識する出来事を話してもらいました。ある人が会合に出席するため開始時間の45分前に会場に到着したのです。参加メンバーは肩書きのある人ばかりなので遅れてはならないと思い、かなり早い時間に着くように思っていたからです。会議室のドアを開けると、もう全員が揃っていたようです。
本当であれば一番早く到着して迎えるつもりだったのですが、出席メンバーから迎えられる形になったようです。「遅くなってすみません」と挨拶をしたところ、然も丁寧に「まだまだ時間前ですから。どうぞ、お待ちしていました」、「私たちは暇ですから早く来ているのですよ。気になさらないで下さい」など、声をかけてもらって恐縮したと聞かせてもらいました。会議中は終始、年下であるこの方に丁寧な言葉で接してくれたようです。
会議終了後に連絡をもらったのですが、「本当に凄い人は腰が低くて謙虚ですね。私にでも丁寧な口調で話してくれました」と感想を話してくれました。
どの世界でも同じですが、トップにいる人は謙虚な人が多いと感じています。どの方も腰が低くて下の位置から接してくれます。挨拶の時のお辞儀の深さ、名刺交換の時の名刺の位置など、最初からとても丁寧なので気持ち良く会議や懇談は進むことになります。
そう言えばオードリー・ヘップバーンの言葉に「いばる男の人って、要するにまだ一流でないってことなのよ」という名言があります。一流の人は威張るどころかとても謙虚な姿勢です。今日のこの話を聞いてこの言葉を思い出しました。
一流の人と接することは勉強になりますし、その中に入れること自体が素晴らしいことだと思います。
困っている人や悩んでいる人の相談に乗っている人がいます。時には自らの立場が傷ついても守ろうとする人です。その人は常々「私には力がありませんから、できることはその人の幸せを祈ることぐらいです」と話しています。今日も相談したいと思う人がたくさん訪れています。社会には困っている人、悩んでいる人達が大勢いるのです。その人達の悩みと同じ数だけ、相談を受けている人がいるのです。自分のことだけでも大変なのに、困っている人たちの相談を受ける人がいる社会は凄いと感じています。
話してくれた言葉の中に「できなかったのではなくて、しかなったのではないですか」という設問がありました。勿論、これは困っている人や悩んでいる人に対しての問いかけではなくて、自ら過去を振り返って未来に向かう時に問いかける時の言葉として持ち合わせて欲しいという意味があります。
追い詰められている状態になる前で、もし今が望んでいた状態ではないと思った時、「できなかったのではなくて、しかなったのではないだろうか」と自問自答することで自らの行動を促すことになるような気がします。
歴史上の事例として、多くの失敗を繰り返しながら電球を発明したエジソンや、困難を克服して人類に名を残し、不可能はないと私たちに示してくれているヘレン・ケラーを紹介してくれました。
もう後がないと厳しい状態に陥っている時は除外するとして、現状を憂う前に自らの行動を振り返ってみたいものです。
- 和歌山市内での雇用問題について相談を受けました。県外に進学した人や就職した人が和歌山市内に戻りたいと思っても働く場所が少ないという話です。一度、県外で正社員として雇用されると、再び和歌山市内に戻って来ることは難しくなります。若い人たちが戻れるような雇用環境を整えてほしいという依頼がありました。これは最も大事な問題の一つだと認識しています。
- 和歌山市内に事務所開設を検討してくれる県外企業があり、紹介していた事務所を「見たい」との依頼があり対応しました。早ければ今月中に進出してくれるので、条件面を詰めています。「和歌山市の市場は拡大しているのですか」という質問に対して、「現状維持ですが、お客さんの要望応じて大阪事業所から和歌山市に来るのに時間がかかっています。サービス向上のため地元に事務所がある方がお客さんの要望に応えられますから」と話してくれました。メーカーにとってお客さんとの直接的な関わりも営業活動の重要な要素だと思います。