午前6時30分からのモーニングセミナーに参加しました。今朝の講師は観光ガイド和歌山の松浦光次郎さんで、「和歌山県の観光の魅力、友ヶ島編」をテーマに解説してくれました。和歌山県を代表する観光地の一つが友ヶ島で、最近は県外の若い人達が訪れる人気スポットになっています。平成27年夏に台湾から和歌山市に交換留学生として来た大学生に「和歌山市のどこに行きたいですか」と尋ねたところ、「貴志川線と友ヶ島」という答えが戻ってきたことを思い出しました。
貴志川線はたま駅長が人気であること、友ヶ島は宮崎駿監督の映画「天空の城ラピュタ」のモデルになったと言われる砲台跡があることが人気の理由でした。どちらも台湾の観光ガイドのインターネットサイトで人気の高い観光地になっているようです。
そんな和歌山市の観光の名所を、和歌山市の観光ガイドの松浦光次郎さんが写真と解説で案内してくれるのですから、友ヶ島に上陸したような感じがしました。
参加者の中には和歌山市で生活していながら「友ヶ島に行ったことがない」という方もいて、地元の観光地に関心を持ってくれることになりました。
友ヶ島の魅力は瀬戸内海に面した島であることから恵まれた自然と砲台跡に代表される人工の歴史遺産を見ることができるところにあります。第二次世界大戦時に造られた砲台跡や弾薬庫を見ることができる場所はそれほど多くないと思います。この島はその時代に入り込んだような雰囲気を体感できるので、歴史を感じられるところも人気の秘密です。
今回はそんな歴史の他に、草木や島内に咲く花を中心に自然の要素をたっぷりと説明してくれました。春は観光に出掛けたくなる季節です。身近なところに存在している友ヶ島を「訪れたくなった」といという人もいました。
友ヶ島の魅力を語ってくれた松浦さん、ありがとうございます。
旧和歌山県議会議事堂の開館の式典が執り行われたので参加する幸運に恵まれました。この県議会議事堂は明治31年に建築されたもので、現存する木造和風の議事堂として残る貴重な建物です。明治時代の当時、和歌山城の東側の一番丁にあったもので、この和歌山県議会議事堂で立憲政治の熱い議論が交わされていたことと思います。
以前、県議会の文教委員会でこの建物を見学したことがありました。根来寺の境内に移転されて、夏草の中にひっそりと存在していましたが、室内は朽ち果てそうで、「これを復原することは難しいのではないだろうか」と感じたことを覚えています。
それが見事に復原されて、明治時代の県議会の空気さえ感じるほどでした。平成の議会ではない明治の議会の空気が充満していたよう感じます。近代国家を築いた当時の地方の政治の場であった議事堂には、若き近代日本の息吹とこれから列強に立ち向かい、また仲間入りするために伸びようとした熱い議論が聞こえてきそうでした。
和歌山県では平成17年5月31日に和歌山県指定文化財に指定し、移転と保存を目指してきました。事業費は約15億円、事業年度は平成24年度から平成27年度で、建物の移転解体修理を行い現在地に移築させています。
根来寺境内にあった当時の古い面影はなく、古き佇まいの中にも若い息吹を感じさせる若き王者のような風格があり、若き日の和歌山県政を担ってきた重厚さも感じました。
議事堂の中に入ると、平成ではない、昭和でもないような空気が漂っていました。明治時代の空気は分かりませんが、きっと新鮮で若くて、意気揚々としていたことを感じさせる空気が満ちていました。
明治の若き県議会議員が立憲に基づいた政治を目指し議論を交わしていたと思います。私達はその精神を受け継ぐ者として、平成の時代に若き日の和歌山県の政治家の心に触れることができたように思います。
明治31年当時、この議事堂は最大規模の木造和風建築物で、民主主義の原点とも言える場であり、県民の方々が集う公会堂としての機能を有していたそうです。現在、現存している議事堂は山形県と山口県だそうですが、どちらも大正時代に建築されたレンガ造りの洋風建築物で和風ではありません。明治は西洋化を目指していた時代であり、その流れに沿うことなく県議会議事堂を和風建築物に仕上げた明治の和歌山県人の気骨と凄さが分かります。また和歌山県の建築技術が劣っていたものではない証拠があります。和風建築物ですが西洋の最新の建築技術を取り入れているからです。室内の階段や柱を少なくするための技術などは西洋の建築技術です。和歌山県議会議事堂は、伝統を大切にしながらも新しい技術を導入していたのです。
そして明治44年に夏目漱石が「現代日本の開化」と題した講演を行ったことは承知の事実です。夏目漱石が関西で演説をした事例は次の四か所です。和歌山県での「現代日本の開化」を始め、明石市公会堂での「道楽と職業」、堺市での市立高等女学校講堂での「中身と形式」、そして大阪の中之島公会堂での「文芸と道徳」です。政治のことを語ったのは和歌山県議会議事堂だけですから、和歌山県には近代政治を感じさせる空気が満ちていたかも知れません。
和歌山県の政治と文化の拠点だった県議事堂は県都の象徴だった伝えられています。そんな歴史的建築物が蘇ったことは嬉しいことですし、建物と共にここで議論された政治家の精神を受け継ぐ者として、平成の和歌山県が立派な県として発展していくことを目指すべきだと強く感じています。
そして明治政府の下、帝国議会が開催されたのは1890年のことですから、和歌山県議会が開会される方が早かったのです。国よりも和歌山議会が先に開会されていたことは、和歌山県が先進性に富んでいたことを示すものだと思います。この事実は、民主主義の精神を取り入れた政治を目指していた和歌山県の姿を感じることができます。