今朝はSさんから教訓をいただきました。「同じ資料を用いて説明しても、説明者の熱意と理解によって受け止め方が違う」ということです。国政の資料を見ると、資料によっては官僚が作成したものであることが分かります。元総務大臣の講演資料のコピーを「これを読むと勉強になるよ」と言っていただいたのですが、その時に話してくれたのが前述の言葉です。
官僚が作成した資料を自分のモノにして人に伝える、講演することで、感動させることや共感を得ることができます。例え作文であっても、自分の中に落とし込んで書いている以上のことを伝えることが説明者にとって大切なことです。
Sさんは「過去に、今回と同じように官僚が作成した資料の内容を理解しないで人に説明した政治家がいました。棒読みをしているだけなので聴衆からの反応は乏しく、共感されることもなかったと思います。それでは国を動かすことはできません」と続けて話してくれました。
資料に書いてあること以外にどれだけの想いをつぎ込むことができるのか。それが大事なことなのです。講演会に行く人にとって、配布された資料は興味があれば持ち帰って読み返します。ですから行間をどう伝えることかできるのか、それが講演者のレベルなのです。棒読みや資料に書いてあることだけを説明するのでは広がりがありませんから、感動も共感も印象も残りません。
数字にまつわる話や結果を導くために困難を克服したことなど、資料の裏側を聞く人は求めているのです。同じ資料を用いても、説明者によって結果が違ってきます。それが説明者のレベルであり腕の見せ所となります。
支援することの難しさを感じました。少しでも生活の自立を支援することや働くことで所得を得て、社会貢献する喜びを味わってもらえる取り組みを提言したのですが、その環境下にある人にとっては、「現状を変えたくない」、「触らないで欲しい」、「今の状況から抜け出したくない」などの思いもあり、外部の人が良いと思って提言することでも、受け入れられないことがあることを知りました。
しかも地域全体や集団の場合、一人や二人が「環境を変えたい」、「働きたいので働く場所が欲しい」と思っていても、「現状を変えたくない」と思う多数派がいれば、声を上げることもできないのです。社会やコミュニティには、多数派の声が少数派の声を抑え込む作用があります。集団に所属していると、そこから外されることが何よりも怖いので、本筋に逆らうような意見を言うことができないのです。
変わらないことこそ身を守ること。そんな思いがあると変化は起こることはなく、今受けられている補助制度にしがみつこうとするのです。人は成長を志向すると思っていますが、全ての人に当てはまるものではないことも知りました。社会全体のレベルを上げていくことの難しさを感じた出来事がありました。
もう15年以上のつきあいをしてもらっている方々と懇親会を行いました。場所はかつらぎ町にある和香さん。このメンバーでの懇親会のメイン会場です。1人は医師の狼谷さん、もう一人は飲食業生活衛生同業組合の元理事長の牧野さんです。
牧野さんからは「こうして食事ができること、一緒に会話ができることを楽しみましょう。ご縁があってこうしていられることは幸せなことです。この関係をずっと続けたいけれど、いつかこの世と別れる日が訪れますから、今日の食事を存分に楽しみましょう」と話してくれました。明日の楽しみを今から望むのではなく、今の時を楽しむことが大切なことです。
地域医療の話、飲食業界の課題など、最近の出来事を中心に会話が弾みました。「片桐さんは期待の星なので、ずっと応援しています」と話してくれたように、二人の温かい言葉で包まれました。そして「これからも和香をメイン会場として、ずっとこの関係を続けましょう」と牧野さんが話して会を締め括ってくれました。