活動報告・レポート
2015年12月23日(祝・水)
天知る、地知る、人知る、我知る

約二か月ぶりに髪の毛をカットしたので、伸びていた頭がすっきりして蘇りました。

カットしてくれたのは高校時代の同級生ですが、「高校時代に先生が言っていた言葉を今でも覚えている」と話してくれました。この先生は貝谷先生という方ですが、先生の口癖は「天知る、地知る、人知る、我知る」でした。当時は何気なく聞いていたのですが、大人になって年月が経つと実にその意味が分かります。

自分の行いは、天から神様が見ていること、地には証拠として残されていること、他人が見ていること、何よりも自分が知っていることを意味しています。悪いことをすれば神様と大地、他人、そして自分がその行為を見ているのです。見るとは、直接見ることに加えて心でも観ているということです。仮に他人に気づかれなかったとしても自分は見ていますから、自分の心に疾しいことはしないこと。その心掛けを話してくれていたのです。

勿論、神様は見ていますし、生まれ育った大地も見ています。人が見ていないからと思って自分の行動を変えてはいけないのです。この話になったのは、最近のいくつかの良くない事例の話が出たからです。

とある市役所の事例です。ある職員さんは仕事をするために日曜日も出勤していました。机に向かって仕事をしていると、背後から空き缶を捨てる音が聞こえてきたそうです。市役所ではゴミを分別していますから、職場のゴミ箱は仕事で発生する紙などを捨てるために設置していて、空き缶は廊下に設置している空き缶用のゴミ箱に捨てることがルールとなっています。勤務時間はこのゴミの分別のルールを守っているので、職場のゴミ箱に空き缶が捨てられることはありません。その日は日曜日で出勤している人がいないと思った若手職員さんが、廊下に出るのが面倒くさいから職場のゴミ箱に空き缶を捨てたのです。

ところが休日勤務していたその人がいたので、空き缶を捨てた若手職員さんに注意をしました。「誰もいないと思っていたようだが、誰も見ていなくてもルールは守らなければならないものです。空き缶を職場のゴミ箱に捨てた場合、明日出勤してきた別の職員が片付けることになります。公務員がそんな行為をしてはいけませんし、そんな気持ちを持ってはいけません」と話したのです。

とても立派な行為です。社会や職場で決めているルールは守らなければルールが成り立たなくなります。そのルールが不具合だと感じるなら、職場であれば職場懇談会などの場で発言をすれば変えられますし、社会のルールが不具合だと感じるなら政治の場へと提言するなど行為が必要です。みんなで決めたルールを自分は尊重していないと思っているから人がいる時はルールを守り、人が見ていない時はルールを破るのです。

この時はたまたま職場の先輩が見ていましたから注意を受け、それ以降、職場のルールを守っているようですが、もし誰も見ていなかったとしても、自分が自分の行為を見ていますし天も地も見ています。

またボランティアで道などのゴミ拾いをした経験がある人なら分かると思いますが、道路には、たばこの吸い殻や空き缶、弁当の空箱などが思っている以上に捨てられています。

ゴミを回収するボランティアを経験した人は「道路にゴミを捨ててはならない」と思うものです。一度でもゴミ収集の経験をした人は、決して道路にゴミを捨てる行為はしないと思います。それでも道路にゴミがなくならないのは、ゴミを捨てる人がたくさんいるからです。その人達はゴミ拾いの経験がない人ばかりだと思います。道路のゴミを拾った経験のある人は、ゴミ拾いが大変だと言うことを知りますから、絶対に自分が捨てることはありません。

大学生や社会人になれば、道路のゴミ拾いを大学も会社も、組織に所属する仲間に経験させることも必要だと感じます。ルールを守らない人の行為を知ることで社会に迷惑を掛けていることを感じ、ルールを守れる人になるからです。

自分のことも大事ですが、社会で生かされている私達は、社会のルールを守ることは大事なことです。お互いに気持ちの良い環境で生活も仕事もしたいからです。職場が汚い、道路がゴミだらけの環境よりも、職場がきれいで、道路にゴミが落ちていない環境の方が気持ち良いに決まっています。環境を作るのは会社や行政ではなく、私達一人ひとりなのです。そして行動は心から発生するものなので心掛けが大切です。

天知る、地知る、人知る、我知る」。懐かしい言葉の意味を二人で噛みしめました。