活動報告・レポート
2015年10月11日(日)
一周忌
一周忌

早いもので父の一周忌を迎え、午前は準備、正午から一時間法要を行いました。親戚の皆さんに集まっていただいたので、父に賑やかな話し声が聞こえたと思います。父は平成26年10月16日に亡くなっていますから、この世を去ってもう一年が経過することになります。時は時刻を正確に刻んでいき、在りし日との時間距離が広がっています。お墓の下の父は、もう一年間もここにいることになります。昨秋から四季を巡りましたが、私達を見守ってくれていると思います。

毘沙門寺にあった小冊子に心を惹かれました。そこで「因縁生起」という言葉に触れました。物事には必ず原因という因があり、それに関りわりのあるものが影響を与えることが縁であり、そこから結果が生じることを生起と言うようです。これを「因縁生起」と言います。

逆らうことのできない運命があるとしても、人の一生とは人が何をするか、何をしてきたかが結果として顕れるものだそうです。

そしてここには、お釈迦様の言葉が記されていました。

「人もし生くること百年ならんとも。おこたりにふけり、はげみ少なければ、かたき精進にふるいたつものの、一日生くるにもおよばざるなり」という一節が「法句経」にあるようです。

この一節の解釈は「もし百年の寿命を得たとしても、ダラダラと時を過ごし、努力を怠るならば、充実した精進を重ね、心を奮い立たせて、前を見つめて生きていく者の、たった一日の人生にも及ばない」という教えです。

この一節のその通りだと思います。生きること自体が尊くて素晴らしいものですが、素晴らしいものだからこそ、一日の大切さに気付き、毎日、心を奮い立たせることが重要なのです。同じ日が巡ると思っていると今日の大切さに気付くことはありません。明日もあるし、来年も同じ季節と時が巡ってくると思ってしまうからです。

しかし残念なことに、人生において同じ時が巡ってくることは二度とありません。今日は、私達にたった一日の与えられた時なのです。同じ日が訪れるのであれば、一年後に父と出会えることもあり得ますが、現実にはそんなことはあり得ません。平成26年10月16日はその日限りの時であり、平成27年10月16日は全く違う日なのです。

今日を大切に生きること。そのことだけが自分達ができることですが、今日を生きられることが素晴らしいことなのです。ダラダラしていることは時間を無駄に使いもったいないことなのです。ダラダラではなくてイキイキと今日を生きたいものです。

ここでは自分の行動の帰結として「成るように成る」と伝えてくれています。やるだけのことをやっていれば「成るように成る」のです。「成るようにしか成らない」のではなくて「成るように成る」と考えたいものです。「成るようにしか成らない」は自らの行動を否定的にしてしまいますが、「成るように成る」は自らの行動を促します。その差には大きな違いがあります。

「成るように成る」と考える生き方をしたいものです。きっと一周忌の今日、そのことを伝えたかったと感じています。

万葉薪能
万葉薪能

今年16回目を迎えたのが万葉薪能です。和歌の浦の屋外スタージで繰り広げられる秋の文化の祭典がこの会なのです。一流の狂言と能を堪能できる、しかも夕日が沈む瞬間を和歌の浦という場所で楽しめる文化イベントなのです。ここだけで見られる狂言と能があります。

万葉薪能の会が、一年間かけてこのイベントの企画と実行のために尽力してくれています。16年の時を重ねて、すっかり和歌の浦の文化として定着しています。日本が誇る狂言と能を楽しめる空間を、和歌の浦が有していることが嬉しいのです。そして万葉薪能の会に関わりを持ってお手伝いが出来ていることを嬉しく思っています。

万葉薪能

舞台を取り巻く気配から、深まり行く秋を感じました。